2018年03月12日

3/10 日本バレエ協会 ライモンダ

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旅行の話でなく、バレエ鑑賞の話です。
私は幼稚園児の時にあまりのスキップのできなさにバレエ教室をクビになった実力の持ち主です。

そんな日本有数の実力の持ち主でありまして、バレエ教室をクビになってからこれといってバレエに深い関わりもなかったのですが、趣味として最近ちょこちょこバレエ鑑賞をするようになりましたので、備忘録も兼ねて思ったことなどをちまちま書いていこうかと。
あ、でも幼稚園児でバレエ教室をクビになる実力の持ち主なので、特にこれと言って知識もなくセンスもなくバレエ用語やバレエの技術も全然知らないし、間違ったこととか色々書いてると思いますがご容赦を。

で。

3月10日(土)日本バレエ協会による「ライモンダ」全幕を見てきました。
新振付:エリダール・アリーエフ
原振付:マリウス・プティパ
音楽:アレクサンドル・グラズノフ
指揮:オレクセイ・バクラン
演奏:ジャパン・バレエ・オーケストラ

配役
ライモンダ:下村由理恵
ジャン・ド・ブリエンヌ:橋本直樹
アブドゥルラクマン:三木雄馬

特定のカンパニーでなく、オーディション型のダンサー参加型公演。トリプルキャストで、私が見に行ったのは初演の回です。

あらすじはというと、十字軍華やかなりし頃の中世フランスが舞台。でもなぜか王様はフランス王でなくハンガリー王にフィーチャー。
それはさておきハンガリーの伯爵夫人の姪であるフランス人の貴族令嬢、ライモンダが主人公。ライモンダにはジャン・ド・ブリエンヌという許嫁がいます。このジャン・ド・ブリエンヌは十字軍の騎士です。
普通、第一幕の時点でジャンは十字軍に出征中なのですが、今回の上演では第一幕、ライモンダの名の祝いの宴の際にライモンダの元へ出征の挨拶に駆け付け、愛を誓うというシナリオでした。
んで、愛を誓ったジャンはハンガリー王に従っていざ十字軍に出発。あ、でもジャンはフランス人だそーです。まあ名前からしてそうだな。
ジャンが出発し、名の祝いの宴も果てた後、ライモンダはハープをかき鳴らしつつ寝入ってしまいます。
そしてライモンダが夢の中で見た世界が「夢の場」と言われる有名な場面で、夢の中では精霊たちが幻想的な踊りを舞い、ライモンダもここで愛するジャンと再会(夢の中だけど)。しっとりを愛を歌い上げます。
が、ふと気が付くとジャンは消え、見知らぬサラセン人がライモンダに迫ります。何こいつと思うライモンダ。
多くの版ではこちらの夢の場では白い貴婦人という、ライモンダの守護精的な精霊が登場するのですが、今回のシナリオではなし。
知らないサラセン人はライモンダへ愛を訴えます。ビビるライモンダ。ふと気が付くと目が覚めて、今のは夢だったのだと知るのです。
ここまでが第一幕。

第二幕。
ライモンダのおばさんの伯爵夫人の城でパーティが開かれます。そこでは宮廷人たちやライモンダの友人たち、その他招待された人々が楽しく踊ったりして盛り上がっていますが、何と招待客の中にライモンダが夢で出会った見知らぬサラセン人がいるではありませんか!
彼はサラセン人の首領、アブドゥルラクマン。彼自身は自分がライモンダの夢の中に登場したことなど知りませんが、一目見るなりライモンダに夢中になってしまいます。
互いに踊りで相手をもてなしつつ、ライモンダに求愛するアブドゥルラクマン。引くライモンダ。もしかしたら一瞬彼に心ひかれそうになった瞬間もあったかもしれないけど、私の目からは終始ドン引いていたように見えた。
靡かないライモンダに業を煮やしたアブドゥルラクマンは、遂に手下たちに命じてライモンダを拉致することに!
そこへ間一髪、駆けつけてきたのが婚約者のジャン・ド・ブリエンヌとハンガリー王一行。十字軍終わるの早いな。ちゃんと聖地まで行ったのか? 途中で行くのやめてない? と思う私であった(ここあらすじじゃなく感想)。

それはさておきジャンとアブドゥルラクマンは激しく対立し、ハンガリー王の取り成しで決闘によって決着をつけることに。
何度か剣がぶつかり合った後、ジャンは遂にアブドゥルラクマンを打ち倒します。斬られたアブドゥルラクマンは瀕死の重傷を負い、倒れ込みながらもライモンダの元へ這って近寄り、懸命に手を伸ばしますがその手はライモンダへは届かないのでした。
哀れアブドゥルラクマンは、絶命。と思いきや、パンフレットのあらすじによれば、アブドゥルラクマンは重傷を負う、というところまでしか明記されていませんでした。でも多くの版ではアブドゥルラクマンは死んじゃうんですが。今回は、その辺りはぼやかしたあらすじになっているみたいです。しかし私の目からは、舞台上のアブドゥルラクマンは確実に死んでたように見えたのでありました。合掌。
このシーンのライモンダは、アブドゥルラクマンを忌避するというよりは、思いがけないことに戸惑い、困惑し、恐れおののいているように見えました。
ここまでが第二幕。

第三幕はハンガリー王やおばさんの伯爵夫人の祝福の元に行われるライモンダとジャンの結婚式の場面で幕。

と、まあ、一人の美しい少女をめぐって二人の男が相争うという三角関係のお話です。
第一幕、登場した時は使者が持っている巻物をとりあげてはしゃぎまわるような天真爛漫な少女だったライモンダが、苦しい恋に巻き込まれ、人間として成長し、第三幕、結婚式の場面では高雅な貴婦人としての気品を漂わせるようになるまでの物語でもあります。
ライモンダがアブドゥルラクマン(多くの版ではアブデラクマンと呼ばれていると思いますが、パンフレットによれば元々は「アブドゥルラクマン」だったそう)に少しでも心を引かれたのか? あるいはジャン一辺倒で、アブドゥルラクマンに対しては拒絶しかしなかったのか? は、演出によっていろいろと解釈があるそうです。
私は今回の演出では、ライモンダはジャン一筋でアブドゥルラクマンに対しては断固NO! というふうに見えましたが、他の方の感想はどうかなあ。
アブドゥルラクマンについても、格好いいところのあるサラセン人の騎士として描くか、悪役一辺倒として描くか、色々だと思いますが、今回のアブドゥルラクマンはちょっとコミカルでちょっとキモい悪役としての面が大いに強調されていたように思います。
ライモンダに求愛するダンス、セクハラストーカーぽくて、キモ面白かった。ごめんねアブドゥルラクマン。
アブドゥルラクマン役の三木雄馬さんの熱演のおかげだね! アブドゥルラクマンのようなキャラクテール(特異なキャラクターにより、演技力と技術力の両方が問われる特徴的な役柄。白鳥の湖のロットバルトとか。眠りのカラボスとか)は面白くて大好き。いいキャラだったよ!

ダンスについても、アブドゥルラクマン率いるサラセン人一行のダンスは迫力があってよかったです。躍動感があって、激しくて、サラセン人の情熱や猛々しさがよく伝わってくるようでした。
男女が対になってぐるぐる円を描いているところを、男の人と女の人の間を逆流して駆け抜けるアブドゥルラクマンの振付(ごめん意味わかんないと思うけど、そういうシーンがあるのだ)、すごかったなあ。また見たいなあ。

三木雄馬さんの体の動かし方がすごくよかったので、もっとソロで長く見たかったぞ。タイトルロールのライモンダはさすが! というほどにヴァリエーションがいっぱいで、ほんと踊りっぱなし! って感じだったのですが(姫も大変だなと思う)、反面男子(ジャンやアブドゥルラクマン)の踊りは少な目だったので、もう少し見たかったかも。

あと、サラセン人の踊りのソリストの渡辺幸さんと奥田慎也さんは動きがキレッキレで、見ていて、すげえ、目が追い付かないや、って感じで、ちょーよかった。

色々な所属母体からダンサーが集まっての公演だったけど、コール・ドは概ねどこもすごく揃っていて、素敵で、見ていて気分が良かったです。普段から同じカンパニーで練習している者同士じゃないのに。日本のコール・ドは本当にレベルが高いな。

ただ、第三幕のグラン・パ・クラシックの時、一組リフトのぐらついたカップルがあって、ひやっとしたものの、持ちこたえてくれてよかった。

そうそう、ライモンダは主役カップルや友人たちや宮廷人たちのリフトがいっぱいで、本当に華やかで見ていて楽しかったですね。

主人公のライモンダは、私は第一幕中盤のヴェールのヴァリエーションがよかったな。しっとりしていて情緒たっぷりで、ライモンダ頑張れ〜って思った。
あとは第三幕、結婚式の場面でのライモンダのヴァリエーション。結婚式という一世一代の舞台なのですが、音楽が寂しいのだ。華やかなファンファーレとかじゃなく、ピアノソロで始まる悲し気な踊りなのです。ライモンダの表情はニッコニコではなく、打ち沈んだような悲しみと一人の貴婦人に成長した気品が綯い交ぜになったような感じです。
やっぱ自分のせいで一人死んじゃった(私の目には)んだから愛するジャンとの結婚式とはいえニッコニコにはなれないよね。そりゃそうだ。
これで、「死んだ」って明言すると後味悪いから、今回のパンフレットでは名言されていないのかもしれませんね。

3時間ほどの舞台でした。たっぷり楽しませてもらいました。
正直言うと、もうちょっと頑張ってほしい〜ってところがないわけではないのですが、私は相当楽しんだので満足です。

衣装やセットなどの美術も大変豪華で美しく、目の保養でした。衣装、ほんとすごかったぞー。煌びやかでゴージャスで、上品でもあった。衣装って、近くで見ると安っぽく感じることもあったりするけど、今回の衣装にはそんなふうに感じる余地は欠片もなかった。ザ・ゴージャス。ザ・貴族。圧倒的なエレガンス。夢の場のセットもほんとに素敵だったしさ〜。この衣装やセットを使わないのは勿体ないので、是非どこかで公演してほしいです。

あと、私は今回の指揮者、バクラン先生、だいぶ好きだな・笑
熱血タイプの指揮者の方と思われますが、バレエ・舞台との調和がよくとれていて、美しい音色でずーっと場を満たしてくれていました。一瞬、金管(私の目は節穴ですが、耳も節穴なので、どの楽器かは自信がないため伏せます)が詰まりかけた瞬間があったけど、すぐリカバリされて、気になったのは1回だけだった。
バクラン先生は日本では新国立劇場バレエ団や牧阿佐美バレエ団でよくタクトを振られるそう。

posted by 綾瀬 at 22:22| Comment(0) | 雑記・バレエ

2018年03月18日

3/17 NBAバレエ団 海賊

バレエづいておりまして。
3/17(土)NBAバレエ団 海賊(久保紘一版)を見てきました。

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NBAバレエ団 公式ホームページ

公演案内ページ内 海賊

大変な意欲作です。
芸術監督・演出・振付:久保紘一
作曲:新垣隆
音楽監修・指揮:冨田実里
振付助手:宝満直也
剣術指導:新美智士

配役
コンラッド:宮内浩之
メドーラ:峰岸千晶
ギュルナーレ:佐藤圭
パシャ・ザイード:宝満直也
アリ:奥村康祐
ビルバンド:大森康正

17日、18日に1日1回ずつ、合計2回の公演で、ダブルキャストでした。私は初日を観劇。
今回のNBA 久保紘一版「海賊」は、既存の古典作品の「海賊」を丁寧に改作した作品で、一般の「海賊」とはシナリオも結構変わっておりました。
久保紘一版「海賊」のあらすじを公式サイトから引用します。

--------引用ここから--------
舞台は19世紀初頭ギリシャ。コンラッド率いる海賊たちの潜む島に、ハープの音色が響いていた。コンラッドが愛するメドーラの歌声はどこか悲しげに聞こえる。コンラッドは、オスマン軍に潜入させていたスパイからこの島への襲撃計画を聞き、仲間を率いて奇襲攻撃を仕掛けるため出発する。

一方のオスマン軍の駐留地であるコロンの港街では、勝利を確信し、前祝いが開かれていた。パシャ(高級軍人の称号)のザイードは、一番のお気に入りである奴隷のギュルナーラと踊っていた。

そこへ僧侶に変装したコンラッドが近づき、ザイードの暗殺を試みたのであった。しかし、ザイードはギュルナーレを盾にしたため、あと僅かのところでザイードを取り逃がしてしまったのであった。この戦いの中救出されたギュルナーラは、修羅場をくぐり抜けてきた冷酷さと燃えるような情熱を合わせ持っていたコンラッドの瞳に一瞬で心を奪われたのであった。しかし、彼には愛するメドーラがいることを知り、火のついてしまった自分の想いに苦悩するのであった。

夜が明け、海賊たちが救出した娘たちと共に盛り上がっていたのも束の間、オスマン軍の逆襲にあう。ザイードは海賊たちを縛り上げ、コンラッドを殺せば見逃してやると条件をつきつける。沈黙の中、ある1人の海賊が声をあげた。裏切ったのは、非情にもコンラッドが信頼するビルバンドであった。苦しむコンラッドの元へ愛するメドーラが駆け寄ると、ザイードはその美しさに目を奪われて彼女を連れて去ってしまうのであった。
やがて、生死の境から目を覚ましたコンラッドは、、キュルナーラの懇願を振り切りメドーラの救出へ向かうのであった。
--------引用ここまで--------
(2018/3/18 NBAバレエ団公式サイト内より引用)

今回、何がすごいって、いっぱいあるけど、真っ先に着目したのは音楽が新垣隆先生の手によって新しくなったことです。ひえー。これは見に行かなければ! と思ってチケットを買いました。
既存の「海賊」の楽曲は、「海賊」のために作られた曲でなく、元あった曲を色々と集めてきて構成されているそうで、それを今回、新垣先生の新曲と新垣先生の手による既存曲の編曲によって一つにまとめ上げるとのことでした。

ここ、というところの定番曲と定番振付は残し、でもシナリオ含め、全体を大きく変えてきていました。
新垣先生の新曲と既存曲はよく調和して、どこかだけが浮き上がることなく、本当に綺麗にマッチしていました。プロローグ、というかOPと言いたいが、ここがプロジェクションマッピングを交えながらダンサーによって演じられ、それを迫力のある楽曲が大いに盛り立てるという構成で、後に続くバレエに対しての期待が高まりました。
格好いい曲だったなあ〜。
順番が前後しますが、全幕を見終わった後、サントラ欲しい!って思ったね。サントラお願いしますだ。

そして振付。
パンフ等によると、宝満直也さんは振付助手ということになっているけれど、実際は殆どの振付を手掛けていらっしゃるそうです。
曲と同様、ここ、という場面の振付は既存のものを活かしつつ、格好良かったりロマンチックだったりする振付が新規で取り入れられて、退屈する暇のない楽しい舞台でした。宝満さんの振付、これからNBAバレエ団でガンガン見られるってことだよね。古典全幕とか、完全新作とか、ガンガンやってほしい。ガンガン見に行きたい。

パシャ・ザイードとギュルナーレのパ・ド・ドゥがロマンチックですごく素敵に感じたなあ。もうギュルナーレはパシャでいいじゃん…人のもののコンラッド好きにならなくても…みたいな……。パシャ・ザイードを演じたのは振付の宝満さん自身で、パートナーに対するサポートが丁寧で優しくて、素敵な方でした。

パシャ・ザイードは普通キャラクテールで、まあ好色なおっさんっていう版が多いと思いますが、この久保版は格好いいパシャでした。ていうかさー、思うんだけど! 悪役だって格好よくあってほしい。格好いい悪役の方が盛り上がる。オタク的には。悪に徹するもよし、弱みを覗かせるもよし、情けないところがあってもよし、暗い過去やら同情すべき一面やら、そういうものがあってもよし、でもとにかく格好よくあってほしい! だからシャアだってあんなに人気あるんだろ!!
そういう意味では久保版のパシャは権力者らしい権力者で、傲慢で、花園の女の子を突き飛ばしたりするものの、部下を率いて勇敢に戦ったりして、本当に格好いいパシャだったよー。卑劣なところ、情けないところもあったけどね。
ちゃんと権力者らしく、自分の奴隷であるギュルナーレには気前よくじゃらじゃら真珠も与えてたしね。そういう気遣いができない権力者は駄目だね。ケチな悪役権力者とか見たくない・笑
強引で何でも自分の思い通りにする(嫌がるメドーラを連れ去るとか、踊らせるとか)けどお気に入りの女の子にはそれなりの扱いをする(メドーラに新しい装束を与えるとか)あたり、ハーレクインのヒーローのようだったよ。そうだね、君はもしハーレクインに出演していたら最後メドーラを心を通い合わせて幸せになっていたかもしれないね…。その場合ギュルナーレどうするんだ…コンラッドとくっつくしかないかな。何の話か。

そんなわけで格好いい悪役でお気に入り。衣装も映えてた。

あと、今回楽しみにしていたのが男性群舞。海賊たちによる群舞は迫力があって動きがキレキレで見ていて楽しくて、もっと踊っててほしいー終わらないでーって感じでした。
運動量の多いダンスで(バレエはみんなそうだけど、ニュアンスをくみ取ってください)、海賊たちによる群舞だから、言葉は悪いかもしれないけど荒々しい踊りなんだけど(雑という意味ではない)、端正な感じもして、とにかく楽しかったなー。
ビルバンドの大森さんの踊り、格好良かったなー。もっと踊ってほしいけど、ビルバンドの役割もあるからなー。

コンラッドの部下のアリは、本来はコンラッドの奴隷ではあるんだけど、版によってはコンラッドの友人とか部下とかという表現ですね。久保版も「部下」か「忠臣」という表記。やっぱりねえ、奴隷より忠実な部下っていう方が現代ではコンラッドのカリスマ性の表現にもつながると思うのですよ。
このアリは、新国立劇場バレエ団プリンシパルの奥村さんがゲストとして演じられました。当初、アリ役にはオーストラリアバレエ団プリンシパルのチェンウ・グォさんを招いていたそうなのですが、怪我のため降板となってしまったそうです。急遽代役として招かれたのが新国立の奥村さんと、これまたすごい人で、新国立は「海賊」をレパートリーに持ってないのもあって(多分。だよね?)、かなり貴重なアリになりました。
アリのヴァリエーションは男性ダンサーの魅力を引き立てる超イケな踊りなので、奥村さんのアリをとても楽しみにしていました。期待に違わぬ卓抜した技術で、回転は鋭くぶれず、ジャンプは跳躍距離が長く迫力満点で、とってもよかったよー。もっと拍手ほしかった。生まれて初めてブラーヴォって言った。でも度胸ないので超小声…。
アリの敬礼も格好良かったねえ。
奥村さんを見に新国立に行こうと思ったよ。今回、25列目くらいでちょっと遠目だったので、もっと近くで見たかったな。5月5日(土)の白鳥の湖でジークフリード王子、6月16日(土)マチネの眠れる森の美女でデジレ王子を演じられるようです。

色々思い付いた順番に書いてるから、アリの上司(笑)のコンラッドが後に来てしまった。コンラッドは紳士な海賊でした。海賊というよりギリシャ独立のための闘士だそうで、終始紳士。愛を告白するギュルナーレを拒否する態度も、あくまで紳士。とはいっても悪のパシャを倒すため、愛するメドーラを救うため、止めようとするギュルナーレを拒み、怪我を押して戦いに赴いてしまうのですが。哀れギュルナーレの思いは届かず…。この時のギュルナーレは可哀想。だってさあ、立場がないじゃん。この先どうやって生きていけばいいか分からないじゃん? パシャはDVクソ男でもう元には戻れないし(戻ってたまるか)、当面は海賊団にいさせてもらうにしてもコンラッドはメドーラと鉄壁のカップルだし、それを見ているのがつらいからって海賊団を離脱してもギュルナーレに糊口をしのぐ術などあるのか? と思ってさ〜。
ギュルナーレに感情移入してしまい、メドーラを邪魔に感じる始末。ごめんメドーラ…。でもこの時は本当にギュルナーレの身の振り方を考えてみていました。結論として、アリとくっ付くしかないと思いましたが、何でしょうね。余ったわき役同士をくっつけるみたいな、そんな適当な感じになってしまい…うーん。いや、何も男に頼らなくても。真の女性として目覚め、自立して生きていくという手も(完全に主題が変わってしまう)。

そんなコンラッドとメドーラのパ・ド・ドゥは常に甘くロマンチックな雰囲気。悪のパシャ・ザイードもそうなんだけど、リフトが優しいんだなあ。コンラッド・メドーラ・アリの定番のパ・ド・トロワも情緒があってよかった。このアリはどうもメドーラのことが好きなようなんですが、パ・ド・トロワの中でメドーラとアリが絡んでるとき、コンラッドはどういうことを思ってるのかなあ〜とか思いながら見ていたよ。コンラッドは気付いてるのか? いや、気付いてないよね。気付いててメドーラとアリを踊らせてるんなら何か…変質者っぽい……し、アリも尊敬するコンラッドに自分のそういう思いを悟らせるようなお間抜けさんではない。切ない。

コンラッドとメドーラが愛し合っているのはいいんですが、そんでコンラッドがギュルナーレを拒むのも、コンラッドがそんなほいほい女乗り換えるクソ男だったら困るのでいいのですが、ギュルナーレが可哀想になっちゃっているので、「メドーラの何がそんなにいいのよキイイー」っていう観客の思い(つーか私だけかもしれない)を納得させてくれるような何かがあるとよかったかもしれない。
といっても、メドーラがどれほど肝の据わったいい女か、そしてどれほどコンラッドを愛しているか、というのは終盤できちんと描かれていて、だからこそメドーラがコンラッドからそんなにも愛されているというのはよく分かるのですが(世界観はちょっと演歌っぽい)。終盤でなく、中盤までにメドーラがギュルナーレを圧倒するようなエピソードがあると分かりやすい…かな? どうかな。うーん自信ない。圧倒的魅力でジークフリード王子をひれ伏させるオディールのごとく、ギュルナーレをひれ伏させる魅力を放つメドーラ、みたいな…? そんなメドーラは嫌だー。てか百合っぽいな。私は何を言っているのか。

メドーラの踊りは技がいっぱいで、見せ場の連続で、楽しかったです。振付は華やかなんだけど、印象としては全体的に清楚な感じ。

そうそう、今回の久保版は、戦闘シーンに大変力が入っていました。西洋剣術の指導を取り入れたとのことで、殺陣は派手やかで見栄えがよくて、動きがスピーディ。コンラッドは二刀流もやるし、武器を奪われたパシャが落ちているコンラッドの剣を拾って戦いを続行する様子などもあり、ちゃんとした戦闘として、見所いっぱい。あと集団戦だと、剣以外に棒を持って戦う人もいて、見ていて面白かったです。

舞台は全2幕で、大体2時間ほど。えー短い、もっと踊って! と思ってしまいましたが、そうなるとストーリー上無駄なところが出てきちゃうでしょう。話の筋は分かりやすく、無駄がなくまとまって、テンポよく進みます。くどくどぐだぐだしたところは少しもありません。エンタメ性も高いので、初心者にも分かりやすく馴染みやすい作品だと思います。

この「海賊」はNBAバレエ団の代表的作品になるのではないか、と思いました。
是非再演してほしいです。再演を重ねてうまく育てていってほしい作品だ、と思いました。

そんでそんで、ですね。すごく嬉しいことがあったのです。

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プログラム購入者から抽選で当たる監督・出演者サイン色紙が当たったのですーー!!!
とっても嬉しい、大事にします!

今年の運を使い切ったかも……?


posted by 綾瀬 at 22:58| Comment(0) | 雑記・バレエ

2018年05月14日

5/12 ソワレ ウィーン国立バレエ団 海賊

またもの海賊。
5/12(土) ウィーン国立バレエ団来日公演「海賊」(マニュエル・ルグリ版)を見てきました。

ちょっぴりお久しぶりのバレエ観覧です。んでも前回のNBAバレエ団の「海賊」から、バレエシネマでボリショイの「パリの炎」やロイヤルの「冬物語」など実は見ていたのですが〜…感想が間に合わず〜…。
とりあえず生で見たのを優先に感想を。

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ウィーン国立バレエ団 2018年来日公演特集ページ

元パリ・オペエトワールのマニュエル・ルグリ率いるウィーン国立バレエ団の来日公演です。ルグリさんは2020年にウィーン国立バレエ団の芸術監督を退任されるそうなので、日本で彼の率いるウィーン国立バレエ団が見られるのは今回が最後!

ということで、奮発してS席で見て参りました。
会場がBunkamuraオーチャードホールなのですよね。私はオーチャードホール大嫌いなので、正直すっごく悩みました…これが東京文化会館だったらこの値段でもそんなぶつぶつ文句言わないんだけど。

オーチャードホールの悪口を言わせると2時間くらい喋ってしまうので黙りますが、傾斜ゆるゆる・非千鳥配置と、まともにステージ見せる気あるんかい!!!という劇場なのですぶつぶつ。
折角の来日公演がBunkamuraオーチャードだともう萎え萎え。でも、見たいから行った。
案の定前の人の頭で、中央で踊るダンサーの爪先が見えずぶつぶつ。前の人が前のめりになって見る人だったからますますむかつくぶつぶつ。でも前の人は結構小柄な女の人だったので、多分そうでもしないと見えなかったのだろうな〜とも思うのぶつぶつ。
これからもアンチBunkamuraオーチャードホールとして生きていきます。でもどうしても見たい公演はやむを得ず行きます。でも文句は言いますぶつぶつ。
意味不明な縦長劇場で構わんから、千鳥に椅子を配置し直してくれればアンチ度合いは減りますぶつぶつ。傾斜をきつくしてくれればもっと許しますぶつぶつ。

Bunkamuraオーチャードホールのご関係の方には不愉快な記事で申し訳ありません。。。が、言わずにはいられない。

黙りますがって言って全然黙ってない。気にせず先へ!

んで、すごく文句言いながら渋谷・Bunkamuraへ突入。パンフレットまさかの2,500円にビビりながらも購入。楽曲リストやヌレエフの系譜に関する記事があったのはよい。しかしこんなにいい本文用紙使わなくていいから1,600円くらいにならんかね。大嫌いなBunkamuraオーチャードホールなので普段よりお金にセコくなる私であった。でも印刷はすごくきれいだね。アベ印刷という印刷会社さんでした。

さて、今回の来日公演のプログラムは「ヌレエフ・ガラ」と全幕物の「海賊」。
予算の関係でどちらかしか見れない。どちらにするかすごく迷った! ヌレエフの愛弟子ルグリによる「ヌレエフ・ガラ」を見る機会は次はいつだろうか…でもガラより全幕物の方が好きなんだよな〜…などとぶつぶつ迷った結果、3月に見たNBAバレエ団の「海賊」が面白かったので、見比べたいのもあって、「海賊」に決定。
あとガラだと録音かもしれないけど、全幕物なら生オケだろうな〜とも思い。

振付:マニュエル・ルグリ(マリウス・プティパに基づく)
美術・衣装:ルイザ・スピナテッリ
ドラマツルギー・台本:マニュエル・ルグリ、ジャン=フランソワ・ヴァゼル
(バイロン、ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン・ジョルジュ、ジョゼフ・マジリエに基づく)
音楽:アドルフ・アダン他
(構成:マニュエル・ルグリ、編曲:イゴール・ザプラヴディン)
指揮:井田勝大
オーケストラ:シアターオーケストラトーキョー

コンラッド:キミン・キム(マリインスキーバレエ団 プリンシパル)
メドーラ:マリヤ・ヤコヴレワ
グルナーラ:リュドミラ・コノヴァロワ
ランケデム:ミハイル・ソスノフスキ
ビルバント:木本全優
ズルメア:アリーチェ・フィレンツェ
サイード・パシャ:アンドレイ・カイダノフスキー
オダリスク:アデーレ・フィオッキ、ニーナ・トノリ、ニキーシャ・フォゴ

ルグリ版「海賊」は人気キャラクターのアリが登場しません。その分コンラッド始め、名前あり男性キャラクターズがガンガン躍るので見応えがありました。
全体を通して思ったのは、ウィーン国立バレエ団のダンサーの皆さんの技術の安定。安定して美しい。腕と足の使い方、動かし方、止め方が優美であった。ルグリさんが芸術監督になるまでそんなに一流! て感じのバレエ団ではなかったなんて嘘のようです。
コールドは合わせるつもりはないと思われる。ただし、海賊とか、バザールの庶民たちの群舞だから、ぴしっと一糸乱れぬ感じに合ってなくてもOKというか、自然な感じでよい。これが妖精とか、宮廷の群舞とかだったらもっと合っててほしいな〜と思うでしょうが。

メドーラ、グルナーラは共に、手足が長くしなやかで嫋々としており、といっても弱々しくはなく、美しさに見とれてしまう。
グルナーラのリュドミラ・コノヴァロワさんはサービス心旺盛(?)という言い方が正しいか分からんですが、がんがんダブルを入れてくれるので会場が湧く。なんだろう、でも女性らしくお淑やか、な感じがして大変好み。
勿論メドーラのマリヤ・ヤコヴレワさんもグラン・フェッテにはダブル入れて、いや、ダブル入れればいいってもんじゃないんですけど、美しい腕をしなやかに開いて軸ぶれずにテンポよくダブル入れてくれるので、見ていて気持ちいい。
女性陣ではオダリスクも美しかった! いや〜綺麗だった。振付がいい。3者がそれぞれ個性のある踊りを見せつけてくれて、もっと見ていたいと思った。こんな綺麗な妾をランケデムにあげちゃうなんてパシャはなんて太っ腹なんや…。私だったらメドーラもグルナーラもオダリスクたちも全部自分のもんやでえ。いやさすがにあげてはいないのかな。おもてなししてあげただけ? でも私にはあげたように見えた。
あと、小気味好い衣装捌きで踊ったズルメアも好印象。衣装が重ねの色目のように色違いのスカートが何段にも重なっていて、それを抓んでスカートの裾が弧を描くようにして踊っていて、目にも鮮やか。

前述の通り、男性陣もよく踊る。
主役のコンラッド、キミン・キムさんは、うん。すごかった。すーーーーっごかった。
しょっぱなの踊りで軸が傾いたような気がして「あれ?」って思ったんだけど、その後はずーっとすごかった。
メドーラとのグラン・パ・ド・ドゥ。空中で停止しているような跳躍。あまりの跳躍の高さ、滞空時間の長さに会場からどよめきが。
この人はいつ地上に降りてくるんだ? と思うくらいで、その後キミンさんのキャッチコピー(?)「永遠に下りてこないのではと思わせる高い跳躍」を知り、いやこれほんとだぜ? と思った次第。
もっと跳んで!! ずっと跳んで!! などと無茶なことを思ってしまう。彼が跳んでいるところをもっと見たいんじゃー。
高く跳べばなんでもいいわけじゃないけど、海賊団を従えるボスなんだから、コンラッドにはその力強さで周りを圧倒してほしい。そういう意味でもハマってた。
ただ、衣装が膨張色だからか? なんか、膨らんで見えるのよね。ビルバントがシュっとしてるだけ余計に。
あと、見せ場の跳躍の時の姿勢は文句なく真っ直ぐで美しかったけど、時々関節が目立つ?のが 気になったりも。膝、肘ね。もしここが目立たなければ、もっと夢中になっちゃうよー。
でも跳躍が神だからな。大柄でオーラのあるダンサーだから、他の役も見てみたい。あ、秋(冬?)のマリインスキー来日公演のドンキ見ます!

ランケデムもいっぱい踊りました。頑張れ奴隷商人。
ビルバントに与したにもかかわらずその後宮廷では海賊たちに捕縛されたりなんか可哀想。でも悪人じゃけえしょーがない。
ランケデムのミハイル・ソスノフスキさんは、とにかく華がある人ですね。出てくると目を吸い寄せられる、主役じゃないのに主役オーラ…。踊りが大きくて、安定感があって…なんというか、君本当は奴隷商人じゃないね? とも言いたくなる華やかさ(ランケデム役がハマらないっていうわけじゃないよ)。
劇中、結構手を打つ動作が入っていたんだけど、ランケデムの手拍子が一番力強く響いていました。

ビルバントは日本人プリンシパルの木本全優さん。キミン・キムさんがライオンのようなら、木本さんは黒豹のようなしなやかで俊敏な動き。きびきびしてキレのある、格好いいビルバントでしたね〜。シュッシュと敏捷な踊りが見ていて気持ちいい!
コンラッドとの一騎打ちも両者ばんばん跳んでいて見応えがありました。あと、演技という意味では一番演技してたな〜って思いました。私がビルバントだったらコンラッドはムカつくぞー。あんな上司は許さん!

と、大いに楽しんだルグリ版「海賊」ですが、シナリオ的にはまあ突っ込みどころ満載な気も…。「海賊」のシナリオは元がそんな感じなのでしょーがないのかもだけど。
だってねえ。サイード・パシャ何も悪くねえぞ! 巡礼者に宿も食べ物も与えるいい奴じゃん! 悪い点っちゃ、奴隷買ったくらい? でも当時の法的には全く合法的な普通の売買のような。花園の夢を見るちょっとスケベなおっさんってことくらいか? でも、花園綺麗だし、別にスケベな演技もないし、何も悪くないのに自分が金出して買った奴隷を強奪された可哀想なおっさんって感じだった。
そんで、特に悪くないすけべなおっさんってだけのパシャに何故グルナーラはそんなにも心寄せたのか? 惚れたの? えっなんで? って感じ。
いやいいんだけど。誰を好きになったって自由だけど。でもパシャ見せ場ないし、金持ちで権力者ってだけしかいい点が描写されてないし、その金持ちの後宮で女としての頂点を極めたいってんなら別にいいんだけど、グルナーラはどう見てもパシャが好きなようだったので、「えーそんなに? なんでこのおっさん?」感が。いやグルナーラがパシャの胸に飛び込むところは素敵だったし、いいんだけどさ。

そんで一番シナリオが「……」なのは、海賊ども、あんたらコンラッド派とビルバント派どっちやねん? ってところ。メドーラを取り戻しに行くコンラッド一行(含むビルバント)、って、ビルバントはどさくさに紛れてパシャの宮殿でコンラッドを亡き者にでもするつもりだったのかな。じゃないと自分が裏切り者だってバレちゃうし、当然そうだと思うんだけど、その割に宮殿で裏切りが露見した時、ついてきた海賊どもは何をするでもなく…。このついてきた海賊どもがコンラッド派なら、そもそも最初のビルバントの企みは成功しないだろうし、ビルバント派なら、一緒にコンラッドやっつければいいのに…、と…。
ビルバント派だったけどいざ事が始まるとビルバント不利に見え、コンラッド派に寝返った日和見主義の海賊どもと解釈することでとりあえず納得しておく。
最後の嵐で、いつ裏切るか分からない日和見主義共も一気に始末できたしコンラッド、ヨカッタネ。

だってなんか間抜けに見えちゃうのさ。自分が裏切られたぼっちということも知らないで宮殿に突撃かますコンラッドも、のこのこ宮殿に付いてきてメドーラに「こいつ裏切り者やで」とチクられてそのままなし崩し的に一騎打ちになり死んでしまうビルバントも。あとズルメアほったらかしだし。
まあバレエのシナリオの変なところって、踊ってる時は気にならないけどね。ただ芝居がはけた後に、「あれ? そういえばあれって…」みたいになるだけで。

と、シナリオについてあーだこーだ言いましたが、踊りはとにかく美しく、女性も男性もエレガントながらきびきびしていて非常に好印象。
素晴らしい、美しい舞台でした。他の演目も見たいバレエ団です。

あ、折角の生オケでしたが、オーケストラはダメでした。本当にプロ? って思った。特に一幕、二幕はじめ。金管が……。高校の吹奏楽大会とかでこんな演奏してたら銀賞も危ないでしょう(偉そう)(金管はトチると目立つからね)。
ただ後半になるにつれて盛り返し、音の広がりも膨らみもよくなってきたので、その後は気にならなくなりました。
posted by 綾瀬 at 22:32| Comment(0) | 雑記・バレエ

2018年06月17日

6/9 ソワレ K-BALLET COMPANY クレオパトラ(1)

6/9(土) K-BALLET COMPANY「クレオパトラ」を見てきました。

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とっても鮮烈で印象に残る女王クレオパトラのキービジュアル。
眼差し、メイク、衣装、美しい肢体、公演に対する期待が掻き立てられます。

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ポスターは他にも何種類かありました。写真に撮りきれなかったのもあった。

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プログラムは2,500円でした。いい紙使ってるし内容もそれなりに充実してるけど、まあ高いよね。1600円くらいにならんかね(前も似たようなことを言っている…)。だって最後の11ページくらい広告だし(バレエ団関連の広告は除く)。意外と見るところが少ないのよね…。使用楽曲のセトリが欲しいところだ。
いや、文句ある人は買わなきゃいいだけだけどさ。写真が充実しているのと、場にまで分かれた詳細なあらすじと、楽曲の作曲者ニールセンについてのコラムは良かった。

えー、それはさておき。
公式サイト 公演情報
アンチBunkamuraなので(すみません)、東京文化会館の公演を選びました。3階席の一番前の席で、ちと遠いけど意外と見やすかったです。でもオペラグラスは必須ですね。私は目が悪いので、オペラグラスがないと小道具とかが何かよく分からない時もありました。
3階席は初めてだったんですが、結構気に入ったので今後も公演によってはアリだな。次は2階席を試してみたい。勿論一番いいのは1階席の見やすいところだけど。オペラグラス使うのめんどくさいし。

芸術監督/演出/振付/台本:熊川哲也
音楽:カール・ニールセン
舞台美術:ダニエル・オストリング
衣装:前田文子
照明:足立恒
指揮:井田勝大
演奏:シアターオーケストラトーキョー

クレオパトラ:中村祥子
プトレマイオス:山本雅也
カエサル:スチュアート・キャシディ
アントニウス:栗山廉
オクタヴィアヌス:遅沢佑介
ポンペイウス:ニコライ・ヴィユウジャーニン
ブルータス:伊坂文月
オクタヴィア:矢内千夏

K-BALLETを見るのは初めてです。本作「クレオパトラ」は熊川哲也監督の演出・振り付けによるK-BALLET COMPANYオリジナルのグランド・バレエとして昨年2017年に初演されたものの再演です。
あの有名な古代エジプトの女王クレオパトラの人生をバレエの舞台の上に再構築した大作で、素晴らしい作品でした。

まず、幕が開きまして。
どーんと、古代エジプトの壁画調の横顔(の、涙を流す目のアップ。ホルスの目だね)が描かれた紗幕。
カール・ニールセンによる主題曲(「アラジン組曲より」)が出だしから力強く演奏されます。とてもインパクトのある曲です。この衝撃的な曲との出会いがバレエ「クレオパトラ」として結実した旨がプログラム等で語られていましたが、さもありなむと納得のいく楽曲です。このバレエのために作られた曲としか思えないほどのシンクロシニティ。クレオパトラのテーマ。
圧倒されつつどきどきしながら見守るうちに、紗幕の向こうに映し出される女王の堂々たるシルエット。
美しく、完璧に完成された演出だと思いました。

今回、3階席だからというのももしかしたらあるのかもしれないですが、音楽がすごく大きく、豊かに広がって聞こえました。低音の音の割れ方が趣味じゃないところもあったのですが、いやーでも低音かっこよく響いてました。金管も木管も弦もズコーみたいな瞬間がなかったわけではないのですが、総じて音楽に対しての満足度は高かったです。褒め過ぎかも。

プロローグが終わり、本筋が始まりますと、まずはクレオパトラの夫にして弟で共同統治者のプトレマイオスが登場しました。一目で分かる、「あ、こいつダメな子だ」感。ガキで、努力が嫌いで遊び好き、でも自尊心はとってもたかーい! というのがすごく伝わってくる。
どうでもいいが、ガキで努力が嫌いで遊び好きで自尊心は高いというキャラ付けにはシンパシーを感じる…。自分のようだ(おお…)。
プトレマイオスがぴょんぴょん飛び跳ねてるところとか、ほんと、王様としてはダメダメね、というのがよく分かって、そうは言ってもまだ若いんだからしょうがないのかなーという共感っぽい感情も湧いてきて、いよいよクレオパトラが登場してビビるプトレマイオスには一緒にビビってみたりもして…。
こんだけダメダメとか言っておきながらクレオパトラに威圧されるプトレマイオスにはちょっと同情もしてしまう。山本雅也さんが実に好演されていたと思います。

そして中村祥子さん演じる女王クレオパトラ。怖い・笑
でも、怖いクレオパトラは主に一幕だけかなと思った。二幕のクレオパトラは、栄華の後には後ろ盾を次々と失い悲嘆にくれ、やがて避け得ない破滅へ向かっていく、その悲痛な姿が格調高く描き出されていて、一幕のおっかないクレオパトラはインパクトがものごっついんだけど、私は二幕の運命に翻弄されるクレオパトラの方が好きだな。

一幕で印象深かったのは、エジプトの壁画のポーズ(片方の掌を上、もう片方の掌を下に向けて、体は正面を向いているけれど顔は横向きで…ってやつ)で女官たちがわーっと出てくるところと、神殿男娼たちの踊りです。
壁画のポーズの女官たちが出てくるところは本当に衝撃的でぎくっとしました。おお、古代エジプトが、あの壁画の世界が今自分の目の前に!
古代エジプトというのが空想の非現実の世界でなく、自分がその世界で今生きているかのような気分がしました。同時に、古代エジプトという遠い世界が、今自分が生きている現実のこの現代に繋がっている実感のような、不思議な矛盾した感覚が湧き起こりました。変な表現ですが。
客席と舞台を一体化させて、観客に舞台の中の世界を体験させるようなはたらきがありました。

そして神殿男娼たちの踊りですが、これは女王クレオパトラが6人の男娼たちの中から一夜の情事の相手を選ぶ踊りと、その後の実際の情事の踊りです。

6人の男娼たちが自分を選んでもらうためにアピールする踊りはキレッキレで、すごい運動量で(いや運動量の少ない踊りはそもそもそうないでしょうが)、純粋に見ていて楽しい。全員で引っ繰り返って手足バタバタさせるところはちょっとゴキ〇リみたいな動きで(なんか虫っぽいのよ。甲虫っぽい)ヒイッってなったけど、とにかくキレが良くて面白かった。なのにキャスト表に載っている神殿男娼はクレオパトラに選ばれたひとりだけで、全員は載ってないのだ〜。載せてください。

そんでその後の情事ですが。「クレオパトラ」には直接的な性表現が大胆に取り込まれていました。えっちなバレエといえばロイヤル(ていうかマクミラン)…と思っていましたがそれどころの話じゃない。ちょっとびっくりしたのは事実ですが、バレエが性表現をしてはいけないわけは勿論ないし、これがなければこの舞台のクレオパトラは随分とぼやけたクレオパトラになってしまうと思います。
そんでもって官能的な一夜の後、女王は自分が選んで寝た男娼に毒を飲ませて殺してしまうの。男娼は逆らわず、従容と死んでいく。

えーっと全然関係ないんですが、以前ボリショイシネマで「パリの炎」を見に行った時、近くの席のマダム(上演中煩くって、マダムとか呼びたくないが)がKバレエのファンのようで、そんでお好きなダンサーが神殿男娼を演じておられたようで、しきりと「クレオパトラの性奴隷」という言葉を連呼しておられて、性奴隷なんて言葉エロ漫画でしか見たことねえわ…音声で聞くの生まれて初めてだわ…と思いながら「パリの炎」を見ていたんですが、性奴隷というか、実際舞台を拝見すると、クレオパトラと一夜を共にできるなら死んでもいい、むしろクレオパトラと寝たという最高のタイミングで死にたい、くらいの神殿男娼たちでした。まあ性奴隷だけどさ。蠱惑的で魅力的で官能的でどうしようもなく恐ろしい女王です。

男娼を殺した後のクレオパトラが印象深かったです。何と言いますか、倦怠のようなものを感じました。何もかもかったるい、男を殺すのも何となくそうしただけ、深い意味があったことじゃない…というような。それは女王の孤独ではあるのでしょうが、孤独よりも退廃、そして人生の停滞のような印象がありました。

しかしその停滞したような女王の運命に変転が。
プトレマイオスとの対立(謀反のように見えるプトレマイオスの哀れさ)がローマからの逃亡者、ポンペイウスの登場によって一気に進展する。ポンペイウスは殺され、クレオパトラは王宮を追われる。
ポンペイウスの行方を追って遂にカエサルが登場。カエサル役のスチュアート・キャシディさんはすごく合っていました。カエサルというとスケベなハゲというイメージの日本人も多いのではないかと勝手に思い込んでいますが、キャシディさん演じるカエサルは威厳や重々しさがあり、色好みではあるかもしれないがスケベなハゲではない。この場合の色好みっていうのは何度も言うけどスケベとゆー意味ではなく、女性をよく愛することを知っているという意味です。シュッとしたヒーローではないけど、格好いい壮年のおじさまでした。

カエサルが登場すると、案内人(宮廷道化師的な役割です。クレオパトラのアニムスかなとも思いました)の差配にて、カエサルをもてなすための宴が設けられます。そこではエジプシャン美女たちが次々と踊る場面があり、色々なタイプの踊りが見られて好きなシーンでした。衣装も全員違ってたし。華やかで可愛くてよかった。
んが、カエサルは満足せず、満を持して登場したのが絨毯に包まれて運び込まれてきたクレオパトラ。有名なエピソードですねえ。エジプシャン美女たちには「ふーん」って感じだったカエサルも一目でクレオパトラに魅了され、まさに一撃ノックアウトといった感じで二人は結ばれます。プログラムのあらすじには「クレオパトラもまた勇猛果敢なカエサルに惹かれ、ふたりは恋に落ちる」と記載されていたのですが、私はやはりどーもカエサルばかりが夢中になって、クレオパトラは後ろ盾を得る手立てとして彼を誘惑しただけに感じましたが、どうかな。見る人によって受け取り方は色々かな。とにもかくにもこうして自分自身を貢物として最高権力者に与えることでゆるぎない後ろ盾を得たクレオパトラは反撃に転じます。

一方、クレオパトラを追い落として調子こくプトレマイオス。人としてやってはあかんことをやらかす。やはりこいつはダメダメだ。最初に登場した時はちょっぴり可愛らしいダメダメさだったのが、狂気方面にダメダメさの舵を切る。こいつはほっといてももう滅びるな…という感じですが、案の定更にやらかす。
そのやらかしはクレオパトラとカエサルに反撃の大義名分を与え、プトレマイオスは破滅。死に至ります。
こうしてクレオパトラは女王に返り咲き、一幕が終了。

長くなってきたので二幕の感想は次の記事で!
posted by 綾瀬 at 15:55| Comment(0) | 雑記・バレエ

2018年06月21日

6/9 ソワレ K-BALLET COMPANY クレオパトラ(2)

前回の記事の続きです。

6/9(土) K-BALLET COMPANY「クレオパトラ」 ソワレの感想。
2幕から。

舞台はローマにあるカエサルの屋敷です。寝台の上にカエサルとクレオパトラが寝そべっており、早くも退廃と倦怠の気配が漂います。そうは言ってもふたりの間にはカエサリオンという子供が生まれていて、仲睦まじい家族の姿も描かれます。カエサル奥さんいるけどな。
クレオパトラに骨抜きにされ、人心を失いつつあるカエサルを諫めるために側近たちがやって来ますが、カエサルは態度を改めません。こりゃダメだ、てなわけでブルータスらはカエサルを暗殺することを決めます。
そしてさくっと暗殺。カエサルの白い装束の左胸から真っ赤な血が溢れ出します。

カエサルを失ったクレオパトラは悲嘆にくれます。この嘆きのシーンは、やっぱりクレオパトラは本当にカエサルを愛していたのかな、と思うようなシーンでした。子供までもうけ、長年実質的な夫婦のような時間を過ごすことで愛情が育まれたのか。女王というよりは普通の妻のようでした。エジプトの女王としてローマの庇護者を失ったことに対する嘆き、というだけには留まらない悲嘆だったかと思います。

さて、そこへやって来たるはカエサルの部下だったアントニウス。シュッとした格好いいアントニウスです。嘆くクレオパトラを引き起こし、踊る踊る口説く口説く。最初は「いやいやそんなカエサルが死んだばっかで口説かれても」とも思ったのですが、不思議と厭らしくなく、むしろアントニウスの思いがクレオパトラに通じればいいのに〜とアントニウスを応援する方に気持ちが傾く。多分栗山廉さん演じるアントニウスがシュッとしてて格好いいからなんじゃないでしょうか。普通こういう、悲しみに暮れるヒロインに言い寄るキャラクターってスケベでとにかく嫌な感じのポジになることが多い気がするんですが、このアントニウスは全然そんな感じがしない。

いいじゃんいいじゃんカエサルが死んだばっかでも。カエサルはクレオパトラにとってある種の運命の人ではあっただろうけど、運命の人がひとりとは限らなくてもいいじゃん。

しかしアントニウスと私の思いは通じず、クレオパトラは息子カエサリオンを連れてエジプトへ帰ってしまいます。
アントニウスは身のこなしがしなやかで王子様然としていて格好良かったんだけどな〜。勿体ない。でも王子様然としている分、どこかクレオパトラの敵ではないというか、格が違うというか、ちょっとそんな感じはある。女王と王子様じゃねえ。そりゃ。

んで、カエサルの後継者である後の皇帝、遅沢佑介さん演じるオクタヴィアヌスがアントニウスとの同盟関係を強化するため妹オクタヴィアとアントニウスとの婚姻を計画します。このオクタヴィアヌスもシュッとしてて格好いい。格好いいんだけど、アントニウスほど王子様然とした感じはしない。武人、かつ政治家って感じがより強い。
クレオパトラに惚れているアントニウスはオクタヴィアとの結婚には乗り気になれません。しかしオクタヴィアヌスに押し切られ、何だかんだで結婚は決まってしまいます。

このオクタヴィアが本当に可愛い。ダンサーは矢内千夏さん。可愛いっていうのは単に容姿がっていうのでなく、もしこの「クレオパトラがロマンティック/クラシック様式や新クラシック様式のバレエで、メインヒロインがクレオパトラでなくこのオクタヴィアだったら眠りやシンデレラのような物語になっていたのではないか」と思わせるような可愛さなのです。
アントニウスと踊るパドドゥは可憐で清純で本当に可愛らしい。乗り気じゃないアントニウスにお前いい加減にせえや、失礼やろと言いたくなる(さっきまでクレオパトラとの関係を推していたくせに)。
そして結婚が決まり、オクタヴィア渾身のグラン・フェッテ。舞台全てがオクタヴィアに集中し、飲み込まれるというか、オクタヴィアから放たれるオーラで包まれるというか、花弁が綻ぶような華やかな衣装も相俟って、この人は本当なら誰からも愛されずにはいられないヒロインだったのだ、というのが伝わってくる圧巻の踊りでした。
しかしこれがお伽噺を描くバレエならオクタヴィアはそのまま幸せをつかんだことでしょうが、「クレオパトラ」はそうではない。描かれるのは女王を中心とした歴史スペクタクルで、オクタヴィアがどんなに完璧に可愛らしいヒロインでも、彼女はアントニウスの心を掴むことはできない。もしふたりが結ばれていたらそれこそ物語の中の美男美女のカップルでしたでしょうに。可哀想…私が養ってあげたい。

ヘタレアントニウス(オクタヴィアに感情移入するあまり王子様キャラアントニウスもここではヘタレ呼ばわりせざるをえない)はきっぱりと結婚を断ることもできず、ずるずるとオクタヴィアと結婚してしまいます。クソヘタレめ。そのくせやっぱりクレオパトラを諦めきれず、新妻オクタヴィアを放置してクレオパトラを追いかけ出奔してします。はあ? お前舐めてんの??? という感情でいっぱいになります。やっぱ駄目だ王子様キャラは。アルブレヒトとかソロルとか数々のクズヘタレどもの姿が脳裏をよぎる(職業:王子じゃない人も含みますが)。
この、クソヘタレが花のように可愛らしい新妻を突き放してローマを後にするシーン、舞台の床に窓枠が黒く縁どられた青い照明が投げかけられ、すごく綺麗でした。暗い室内に青い色ガラスの色が外から差し込む光で映し出されているような感じね。ここのシーンが特に気に入りましたが、「クレオパトラ」は終始照明美術がとても美しくて素敵でした。

一方、クレオパトラは船上で気鬱に沈んでいました。案内人やお付きの侍女たちが彼女の気を引き立てようと色々心を配りますが、クレオパトラはそれを退け、気怠げに過ごしています。案内人の踊りはキレが良く、クレオパトラのために心を込めて踊られていたのがよく伝わったのですが、それでも女王の気鬱は晴れない。

そこへやって来たクソヘタレアントニウス。クレオパトラの前では彼はヘタレを卒業し、再び王子様然とした佇まいを見せます。そして歓喜するクレオパトラ。気鬱は一気に散じてしまいます。
この時のクレオパトラはアントニウスに本当に心を寄せていたように思えました。泣く泣くローマを後にしたけれど、クレオパトラはあの時本当はアントニウスに恋をしていたのではないか。本当は彼の傍にいたかったのではないか。そう思わせるようなふたりの逢瀬です。

ふたりが結ばれてよかったね、と思ったのも束の間、やはりクソヘタレアントニウスの裏切りは許されることではありません。オクタヴィアヌスが兵を率い、エジプトへ攻め込んできます。妹をコケにされた恨みを晴らす、というよりはローマを裏切った男を成敗する、という感じですね。

戦闘は終始ローマ優勢、アントニウスは追い詰められます。この戦闘のシーンは冗長っていうんじゃないですが、なんかこー、似たような振付でぐるぐる同じところ回ってるので、もっとブラッシュアップの余地があるかもしれません。まあローマ兵たちが駆け回ってる姿は嫌いってわけじゃないんですが。

そしていよいよオクタヴィアヌスに追い詰められたアントニウス。自分のやらかしてきたことのツケを払う時がやって来ました…と思いきや!
なんと、オクタヴィアヌスはアントニウスを殺そうとしてやめてしまいます。それは見逃してやろうっていうんじゃなく、お前なんてもう自分たちローマの敵ではない、殺す価値もない、と言わんばかりの振る舞いです。
ざまあみろヘタレという思いと、でも折角思い人と一緒になって幸福だったのに可哀想という思いと、まあ相反しますが複雑な感情が湧き起こります。

この辺のオクタヴィアヌスは、私はすごく格好良く魅力的に見えました。悪役というのでもないが、正義キャラともちょっと違う。言うならばこの人に付いていきたいと思うような感じ…。カリスマ性ってこういうことかしらん。格好いい役とダンサーでした。

そして敵にも見放された王子様アントニウスは屈辱に耐えきれず自決を決意。まあ自決以外ないですね。この状況では。王子様を引退して、どんな泥水を啜ってでも生き延びてクレオパトラを幸せにする、というタイプではなかったわけでして。

クレオパトラが駆け付けてくるものの、女王の腕の中でアントニウスは息を引き取ります。嘆き悲しみ、狂乱するクレオパトラ。カエサルを失った時とは違う悲しみの表現です。
この時の様子を見ても、私はクレオパトラが本心からアントニウスを愛したように思えました。そして多分カエサルよりも(受け取り手によって見方が違うと思うけど)。
ただアントニウスの敗北と死はクレオパトラのエジプト女王としての命脈の終わりでもありました。そのことをクレオパトラが思い出すのは、一頻り取り乱し、嘆き悲しんだ後というか、その中でのことだったように感じました。

ラスト、クレオパトラのテーマとも名付けたい、冒頭に演奏されたのと同じ主題曲が奏でられます。
取り乱すクレオパトラの傍にこれまで彼女の人生を通り過ぎていった死者たちが次々と現れ、冥界へ続く階段を上っていきます。死んでいたアントニウスも起き上がり、死者たちの列に連なります。
この時のクレオパトラは次第に落ち着きを取り戻し、やがて威風堂々たる女王の風格をも取り戻します。
女として、人間としての愛の終わりの嘆きの後に、運命の終わり、自らの破滅の時を迎え、世に並び立つ者のいない女王クレオパトラを取り戻したように見えました。このクレオパトラは人でなく神に近い聖性を放っているようでした。

死者たちが消えていった冥界へ、女王も階段を上ります。そして美しい影となって身が投げられ、女王の孤高の自死が描かれ、幕。

すごく見応えのある舞台でした。
そして普遍性のある舞台でもあったと思います。曲の編集、演出、振付、全てオリジナルでこれほどの大作を作り上げるのは本当に並大抵のことでないと思います。いやそんなん私に言われるまでもなく当たり前だけどさ。他になんて表現すればいいかよく分からん。
普遍性のある、つまりどこの誰に対してでも勝負できる作品だと思うので、よそのバレエ団からも買い付けに来られたりして、世界中で演じられるといいな〜なんて思いました。

Cleopatra4.JPG
あと最後に、おみやのドレッシング。何故こんないいものをいただけるのか? と思いましたが、このドレッシングの提供元であるシュガーレディという会社さんは今年からK-BALLETの団員の食事面のサポートをしておられるということで、そのコラボプロモーションの一環のようでした。ありがたくいただきます!
posted by 綾瀬 at 19:41| Comment(0) | 雑記・バレエ

2018年08月12日

8/8 世界バレエフェスティバル Bプロ(1)

3年に1度東京で開かれる世界バレエフェスティバルを初めて観覧して参りました。

公式サイト

3年に1度だしーと奮発してS席です。
とはいえ仕事と予算の関係で全部のプログラムを見ることは叶わず、Bプロのみ。チケットを取る段階ではAプロ、Bプロの演目も決まっていなかったので、「演目も分からんのに26,000円も払うなんてすごいな」と思いつつ、バレエというのはそんなもんじゃろと、仕事の兼ね合いで一番都合のつきやすかった8月8日、Bプロ初日を観に行くことにしました。
勿論本当はAプロも、ガラも、特別全幕のドンキも見たかったよー。でも、結果的にはBプロは私の見たかった演目が目白押しで超ラッキーでした。それにお気に入りのダンサーも何人か見つかったし、今後のバレエ観覧ライフの充実への大きな助けともなりました。
それと当日の予報では台風直撃コースでぎりぎりまで無事開演されるか(そして終演まで保つか)ドキドキしていましたが、意外にも行きも帰りもそんな暴風でも豪雨でもなく、これまたラッキーだったのでした。

19演目、4時間以上にわたる長丁場で(若干腰と背中が心配で)したが、割りと頻繁に休憩を入れてくれたので助かりました。その分1回1回の休憩時間が短いのでトイレは争奪戦でしたが…。

指揮:ワレリー・オブジャニコフ、ロベルタス・セルヴェニカス
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:フレデリック・ヴァイセ=クニッテル(「ソナチネ」「椿姫」)

― 第1部 ―
「眠れる森の美女」
振付:マリウス・プティパ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
オレシア・ノヴィコワ/デヴィッド・ホールバーグ


格調高く美しい「眠り」。最終幕、オーロラ姫とデジレ王子の結婚式のパ・ド・ドゥ。ノヴィコワさんの腕と足の動かし方、止めた時の形、とても美しく見惚れてしまいました。でもこの演目を見ている時、すごく心が動いたのですが、何だか違和感があって、瞬間的に「もしかして私が今感動しているのは踊りの方じゃなくてオーケストラの方…?」という思いが芽生えたのも事実。オーケストラ良すぎで踊りが負けてる。そんなあ。
でもこの日のオーケストラは最高に素晴らしかったです。「もっと演奏聴いてたい」って、はっきり思ったもんね。音が豊かで広がりがあって厚みを感じて、とにかく心地よかった。
オーロラ姫もデジレ王子も気品があり、姫と王子!!というのがよく伝わってきて、決して悪い踊りではないと思ったのですが。
初っ端で座が温まってないっていうのも関係あるのかなあ。受け手(つーか私)のテンション的に、公演が始まったばかりだから、大団円の結婚式っていう気分じゃないっていうか…? ガラ形式だから当たり前だけど、ひとつひとつの演目の時間は短くて、やっぱ全幕見たいっちゃーと思いました。

「ムニェコス(人形)」
振付:アルベルト・メンデス
音楽:レムベルト・エグエス
ヴィエングセイ・ヴァルデス/ダニエル・カマルゴ


人形っぽい動きは面白くて好き。結ばれ得ない宿命の人形たちの姿が分かりやすく、コミカルな動きで表現されていてよかったです。まずは女の子の人形が目覚め、兵隊の人形にちょっかいを出し、なかなか思いが通じずすれ違うけれどやがて仲良くなって二人で踊って、なのにいつしか女の子が動かなくなり、兵隊が慌てて起こそうとして、やっと女の子が動いたと思ったら今度は兵隊が動けなくなって、やがて夜が終わって…という、束の間の愛の絶頂とその前後のすれ違い(前半は思いのすれ違い、後半は運命のすれ違い)がとっても切ない演目でした。物語としてはもしかしたらありきたりかもしれませんが、これは人形らしいコミカルな踊りだからこの程度の凹み具合で済むのであって、ドシリアスな踊りだったらめっちゃ凹みそう…と思ったものです。
人形に仮託してるけどさ、人間の営みだって宇宙規模から見たら一夜の幻のような儚さでしょう。
で、人形っぽい動きは面白いし好きなんだけど、超絶技巧が次から次へ、という振付ではないので、折角のヴァルデスさんとカマルゴさんなのでもっとガンガン踊ってる姿も見たかったなー、とも思ったり。

「ソナチネ」
振付:ジョージ・バランシン
音楽:モーリス・ラヴェル
レオノール・ボラック/ジェルマン・ルーヴェ


私は物語のあるバレエが好きで、見る時も演劇的アプローチで見てるんだろうなあ、というのが自分自身で分かります。そうすると、音楽をバレエという言語で表現するバランシン作品とは相性が悪く…。見ていて、何を表現しようとしているんだろうとあれこれ考えた挙句、すーぐ男女の愛かな? と短絡してしまうという…。男と女が舞台に上がってたら何がどーでも男女の愛かよバッカじゃねーの? と自分でも思うんですが。そしてどこまでも底の浅い頭の悪さが完全に露呈していて書いてて恥ずかしいんですが。実際、男女の愛が表現されることもあれば、そうでないこともいっぱいあると思うのです。
今回は最初からバランシンの「ソナチネ」と分かっているのだから、あれこれ考えようとせず、見たままを楽しもうと意識して観覧に臨みました。
爽やかなブルーとピンクの衣装が美しく、その衣装を翻して踊る二人が美しく、心地よく見ることができました。しかしふと気が付けばバランシンはこの音色をこの振付でどう表現しようとしたんだろう、とかあれこれ考え出してしまい、振付と音楽が合っていてすごい! 素敵! と思うこともあれば、なんか(私の)音楽の受け取り方と違うな〜と思うこともあり(バランシンに対して烏滸がましいにも程があり、書くのをほんとためらいましたが、まあ正直に書きます)、結局ずっと考えてた。馬鹿の考え休むに似たり。あーああー。
そうやってあれこれ考えてると結局、綺麗に踊っていたなという印象ばかりが残って、折角の踊りをちゃんと堪能できていたか我ながら謎。でもルーヴェさんのピルエットは好きだ! って思ったのをよく覚えている。
相性が悪いバランシンとはいえ寝なかったし、またいつか見てみたい演目です。
あと、舞台上で演奏されたピアノもよかったです。

「オルフェウス」
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー、ハインリヒ・ビーバー、ピーター・プレグヴァド、アンディ・パートリッジ
シルヴィア・アッツォーニ/アレクサンドル・リアブコ


オルフェウスはギリシャ神話のあれですね。奥さんが亡くなって、冥府に奥さんを取り戻しに行って何とか地上まで連れ帰ることの合意が取れたものの、地上に着くまでは振り返ってはいけないという言い付けを破って振り返ってしまい、という黄泉平坂。
でもこの作品は舞台を現代に移し、オルフェウスはバイオリニストという設定。
大好きなノイマイヤー、なんだけどちょっと眠たくなっちゃった。えーなんでだ。ソナチネで寝ないで頑張ったから…? 初の生リアブコめっちゃ楽しみにしてたのに…。
寝はしなかったし、断片的にはここが素敵だったとかあーだこーだ覚えているのですが(奥さんが出てくるところとか、ラストのオルフェウスの嘆きとか)、集中して見ることができなかったのでコメントは控えます。あああ勿体ない……。いつかリベンジしたい。


ローラン・プティの「コッペリア」
振付:ローラン・プティ
音楽:レオ・ドリーブ
アリーナ・コジョカル/セザール・コラレス


睡魔から復活。
コッペリアって苦手なストーリーです。だってDQNが老人に嫌がらせして特に反省もしない(反省は版によるかな?)話に見えてしまうのだ…。フランツは馬鹿で、気が立っている時だと「死ねばいいのに」とさえ思うほどムカつく。スワルニダは特に気が立っていない時でも「何こいつ死ねばいいのに。ていうかフランツみたいなクソ男は捨てとけ」と思う。えー、公序良俗に反する発言で申し訳ございません。フランツとスワルニダに対する私の悪意がすごい。でもそれも演出によりけりだと思うし、プティ版のコッペリアは初見だし、ガラでパ・ド・ドゥだけ抜き出してみるならDQNストーリーも気にならない。やったぜ。
そして初の生コジョカル&コラレス。期待に違わず、明るくてとびきり可愛くて、素敵なカップルでした。きびきび若々しく踊って、大嫌いなフランツ&スワルニダ(死ねばいいのに)ということもちょっとしか気にならない。ちょっと気になるの? と我ながらその執念深さにびっくり。どっちかっていうと、大嫌いなフランツ&スワルニダなのにこんなに可愛く楽しく踊られて好感を持ってしまいそうで困るって感じ。だって楽しそうで可愛かったもん。コジョカルさんは可愛いし、コラレスさんは活きがいい! プティ版コッペリアを全幕見れば、私のこのフランツ&スワルニダに対しての悪意も払拭されますでしょうか。

2幕以降は次の記事で!

posted by 綾瀬 at 18:31| Comment(0) | 雑記・バレエ

2018年08月14日

8/8 世界バレエフェスティバル Bプロ(2)

前回の記事の続きです。2幕から!

― 第2部 ―
「シンデレラ」
振付:ルドルフ・ヌレエフ
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
ドロテ・ジルベール/マチュー・ガニオ


この演目の時、前の座席の人がすごく前のめりになって見ていてあまり舞台で踊る二人が見えず、集中できませんでした…。残念。前の座席の人はこの演目になるまでは別に前のめりになったりするわけでなく、普通に座っていただけになんでだよむかっ(怒り)とすごく苛々してしまったんですが、前の前の席の女性がね、パートナーの男性と一緒に来ていてね、その男性の肩に頭を完全に凭せ掛けてだらーんとリラックスして舞台を鑑賞されていてねむかっ(怒り)むかっ(怒り)、そのせいで前の人は前のめりにならないと何も見えんという…。
はあ? ふざけんなマジで家で寝てろこのクソピーーーーーーー!! 男も男でてめーなんで注意しないんだピーーーーーーーと放送禁止なかなり口汚い言葉が胸中を渦巻き、マジで集中できませんでした。
折角ジルベールさんとガニオさんが! 私の目の前で踊っておられるというのに!!
しかし怒りんぼの私はなかなか気分を切り替えられず、苛々したまま珠玉のシンデレラは私の上を通り過ぎていったのでした。いいもん! いつか全幕観に行くもん!
全然踊りの感想が書けない。うぅ…。このブログでわざわざこんな不快な経験を書くのはわずかながらでも啓蒙になれば…という思いからと、鬱憤を晴らしたいから。なんですが。後者の方に寄りすぎ!? という説も。
自分自身も常に絶対人に迷惑をかけずに生きているわけではないですが(当たり前だが)、意識や行動で何とかなることくらいは何とかして(変な日本語)生きていきたいものです。

なお肩凭れクソボケ女は本演目の最後の辺りで頭を真っ直ぐになさりまして、それに従い前の席の人も前のめり体勢をやめたのでした。あーあ。

「HETのための2つの小品」
振付:ハンス・ファン・マーネン
音楽:エリッキ=スヴェン・トール、アルヴォ・ペルト
タマラ・ロホ/イサック・エルナンデス


クソボケ女がクソボケ行為をやめたので(やめなかったら係の人に注意してもらおうと思って目の端で人を探してたよね)、今度こそ集中して見ようと臨みました。コンテはまあ、どっちかというとクラシック様式の作品の方が好きだけど、この作品はすぐ引き込まれて、終わらないでほしいーって思いました。
開始間もなく、男性が複雑な激しい動きで観客を引き込み、続く女性の美しい妖艶な動きで更に観客を引き込み、それもただ美しいだけでなく、何かエネルギーが放たれるような踊りでした。エネルギーといっても熱っぽい感じはあまりしなくて、それは黒い衣装のせいかも? 陰というよりは夜のエネルギーだな。じめじめとはしていない、でも舞台上のダンサー二人の駆け引きからも感じ取れる丁々発止? 一触即発? ぴんと張り詰めた緊張のような感じで、でもピリピリするような怖いような緊張とは違って何かリラックスして見れました。
女性側がタマラ・ロホだからという先入観があるかもしれませんが、男性側が女性側に翻弄されている(?)、転がされている(?)、ような、男性側のアプローチを女性側がいなして受け流したり、かといって完全に突き放すでもなく引き戻したりもするような感じで、オネショタかな色々と想像が掻き立てられる舞台でした。
この演目は衣装がなかなかセンセーショナルなのですが(尾籠な言い方をすればスケスケハイレグTバック)、ロホさんはさすがの貫禄で力強く美しく、エルナンデスさんは衣装のともすればエッとなるようなきつさを感じさせない均整の取れた美しい肉体でした。
は〜、それにしてもオランダ国立バレエ団はこんな素晴らしい振付家を抱えてるのかー、オランダ行かなきゃー、という渡蘭への思いを新たにする演目でございました。このブログは元々海外旅行ブログなので、勿論いつかはオランダにも行ってみたい。絶対バレエシーズンに行くぞー!

「白鳥の湖」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:マリウス・プティパ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
アシュレイ・ボーダー/レオニード・サラファーノフ


第3幕、ジークフリート王子が結婚相手を選ぶためのパーティで踊られる黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥです。バレエの中でも屈指の知名度を誇るパ・ド・ドゥだと思いますが、私もこのパ・ド・ドゥ大好きで、やっぱりラストのオディールのグラン・フェッテは本当に本当に大好き。
で、アシュレイ・ボーダーのグラン・フェッテなんですが、私すごく好きになってしまって、今回の公演の中でも一番好きな演目かもしれない。
ボーダーさんのグラン・フェッテは軸が全くぶれず、音楽との協調が素晴らしく、前半は数回に1度両手を上に上げるダブルを入れて回って、観客に対してのサービス精神、楽しませようという強い気概を感じました。さすがアメリカン(?)。
ボーダーさんは大柄なダンサーであることもあって、繊細なオデットに化ける妖艶なオディールというよりは肉食獣のようなダイナミックなオディールでしたが、それがよく合っていた感じがします。例えば同じグラン・フェッテが見せ場にあるキトリなんかだと、私はもっとハイピッチで回る方が好みかな〜とか思ったりもして。
で、私がすごく気に入ったのは自分自身では納得なんですが、多分好みじゃない人もいるだろうな〜とも思うオディールでした。クラシック・バレエ的美の極致とはちょっと方向性が違う感じだったので。でもジークフリート王子は正統派のクラシック・バレエの王子様でしたね。動きの一つ一つが正統派で美しく、特に下半身が素敵だと思った。そういう意味ではちょっとちぐはぐかもしれない。というか、王子を誘惑するというよりは取って食おうとしてない? 王子はオデットとオディールの区別がつかないのはしょーがないにしても、目の前のこの彼女(オディール)と付き合ったら大変だって気付かんかい! という突っ込みはせざるを得ない。
でも大好き。

「椿姫」より 第2幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:フレデリック・ショパン
アリシア・アマトリアン/フリーデマン・フォーゲル


大好きなノイマイヤーの大好きな「椿姫」から白のパ・ド・ドゥ。
アマトリアンさん演じるマルグリットは早くも病の影を感じさせるような儚い姿。一方フォーゲルさん演じるアルマンもどこか影があり(そんでもって超絶ハンサム。実際の顔がどーのということでなく、舞台上のアルマンとしてとても美しい、ハンサムなアルマン)、ふたりの愛の絶頂でありながらどこか破滅を予感させるようなパ・ド・ドゥに感じられました。
椿姫は学生の頃に確か岩波文庫版の、小デュマによる原作を読んだことがあるのですが、まーその時はマルグリットにもアルマンにも苛々苛々……。怒りんぼの私はアルマンのような経済力も常識も(ついでに知性も)ないくせにモラハラだけは一丁前な馬鹿学生に苛々し、そんなアルマンへの愛によって命を縮めていくマルグリットにも苛々し、まあアルマンみたいなクソ男は現代にもよくいるもんですが、マルグリットが金のためならともかく愛のために命を縮めるなんて本当に理解できませんでした。そんな男捨てろよ!! 今ならまだプライド捨てれば娼婦としてやり直せるから!! と内心思ったものです。まあその頃にはマルグリットの体は肺病に冒されつつあるわけですが…。
えーっと話がずれましたが、白のパ・ド・ドゥは二人が他の誰にも邪魔されず、風光明媚な別荘で思うがまま愛を深め合う踊りです。高級娼婦のマルグリットがアルマンの一途で誠実な愛に応えて(こいつが一途で誠実なのもここまで)パトロンと手を切ることを決め、二人で愛を誓い合うわけで、衒いのない愛の発露が物語られるシーンだと思っていたため、どことなくこの先の破局を感じさせるような、二人それぞれに差す陰にとてもドキドキしました。
好みによると思うけど、愛の絶頂にただそれだけを示すもよし、先の不穏の兆しを込めるもよしだなと思います。
次々と繰り出される複雑なリフトや流れるような振付は官能的でドラマチックで、ちょっとピシッとしないところもあったけど(マルグリットのドレスのスカートの始末とか)、総じてとてもよかったと思います! 陶酔して見入ってしまいました。


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posted by 綾瀬 at 21:12| Comment(0) | 雑記・バレエ

2018年08月19日

8/8 世界バレエフェスティバル Bプロ(3)

― 第3部 ―
「ロミオとジュリエット」より 第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
メリッサ・ハミルトン/ロベルト・ボッレ


可愛いロミジュリ! 超お気に入り!
ジュリエットは可愛く、ロミオは格好いい。初恋の甘酸っぱい星屑のようなパ・ド・ドゥ。
メリッサ・ハミルトンのジュリエットは初恋に戸惑い、恐れ戦きつつもロミオに惹かれる、というよりは、初恋のときめきに少し戸惑いつつも、それよりもロミオへの愛情に一直線に飛び込んでいく、積極的な少女のように感じられました。
ロベルト・ボッレのロミオは甘い雰囲気たっぷり、包容力のある大人っぽいロミオで、まあ16歳には見えない・笑 少なくとも24歳くらいに見える。ジュリエットも原作の設定では14歳ですが、まあ17歳くらいには見えました。ロミオの存在に気付いた時に見せた少しの戸惑いがなければ彼女も24歳くらいに感じても不思議はないかも? シェイクスピアの原作が書かれた当初と現代では寿命が違うから、精神年齢的にはプラス10歳くらいしてもそんな変ではないかもですが。
触れ合っては離れ、またくっ付き、軽やかに回転し、ひらひらした衣装を情感たっぷりに翻して、複雑なリフトも軽々と繰り広げ、秘めやかな恋を高め合っていく二人の様子が本当によく表れていると思いました。
可愛くてねえ、応援したくなるカップルです。少女漫画の世界。
ロミオがキャピュレット家のパーティに忍び込んだのはジュリエット以外の女性ロザラインへの恋心ゆえだったという事実も忘れてしまいます。って、忘れてない・笑
いや、まあ、若干ロミオに対しての不信感はありますが、でももうこの時の二人には関係ないことですね。

「ジュエルズ」より "ダイヤモンド"
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
ミリアム・ウルド=ブラーム/マチアス・エイマン


バランシンからロシアバレエへのリスペクト。美しい古典美を期待して鑑賞。
ただやっぱりバランシンはどうも苦手で、というか抽象的なバレエのどこに心を寄せればいいかよく分からないというか…、すみません。
確かに美しい動きが続くけど、これが一番美しい動きなのかな? と思うと何だかぎこちなさを感じるシーンがもあって…。何だろう。よく分からないんだけど、肘や、上半身が気になったんですよね。
う〜〜〜ん。とはいえ「変」とまでは思わず。ふつーに終わったというか。パリ・オペのエトワールよ! 宝石の王者ダイヤモンドよ! という圧倒的キラキラ力(造語)みたいなのは感じず。

「マノン」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ジュール・マスネ
アリーナ・コジョカル/ヨハン・コボー


沼地のパ・ド・ドゥ。
ん、ん、ん〜〜〜、沼地ってこんなだっけ? というのが率直な印象でした。
振付は大分少ないような? 動けてないような? この間英国ロイヤル・オペラ・ハウス・シネマシーズンでサラ・ラム/ワディム・ムンタギロフのペアで見た沼地は、息絶えつつあるマノンを必死で励まし、生き永らえらせようとするデ・グリューの献身の振る舞いが(揺さぶったり振り回したり)盛り込まれていたように思うのですが。
なんかさらっとしてない? という違和感を抱えつつ、振付を完全に暗記しているわけでもないので、これからだっけ? これからだっけ? と思っているうちにいつの間にか終わってしまいました。
あっるぇ〜〜〜?
ガラで見るのと、1幕、2幕と積み重ねて全幕見るのとでは積み重ねが違うからそう感じるだけかなあ? って思ったけど、やっぱりあまりに違い過ぎたと思うの。
「???」と思っているうちに終わってしまったので、ラスト、デ・グリューの慟哭も「もしかしたらまだ生きてるんじゃない? とりあえず振り回してみれば?」って思ってしまったのであった。

「アポロ」
振付:ジョージ・バランシン
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
サラ・ラム/フェデリコ・ボネッリ


初の生サラ・ラム! と期待して鑑賞。ラムさんは、冬物語のシネマ見た時は特に印象に残らないなーって感じだったけど(失礼である)、マノンはよかった!
で、演目も今回上演されるバランシン作品の中では何となく一番とっつきやすそうだな〜と思っていたのですが、あー…、すみません、心地よく寝てしまいました…。折角の生サラが…。
幕が開いた時、フェデリコ・ボネッリ演じるアポロが、辺りを圧倒するような威風堂々たる姿で座っていて、それがこの作品における私の印象と感想の全てになってしまいました…。勿体ない……。

「椿姫」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:フレデリック・ショパン
アンナ・ラウデール/エドウィン・レヴァツォフ


わーいまた大好きな椿姫だー、白と黒両方見られるなんて嬉しい! そして白と黒なら黒の方がより好きなのでワクワクしながら鑑賞。
病の影の差すラウデールさん演じるマルグリットの立ち姿が印象的。ベールを剥ぎ取った瞬間の、全身から発散されるアルマンへの懇願の念が強烈で、強烈という言葉に反するかもしれないけど、やはり死にゆく者なのだなあと。
レヴァツォフさんはハンサムな金髪で長身で、着やせするのかひょろりとした姿の印象で、いいとこのボンボンのアルマンっぽさ満載。そういう意味ですごくハマってる気がしました。
はじめ、アルマンはマルグリットを拒絶しますが、徐々に逆転して、最後にはアルマンの方からマルグリットを求めて愛を乞う。激情に抗えずに最後に一度だけ情を通じる二人が本当に切ないなあ〜。その時マルグリットが黒いドレスを脱いで白い下着姿になるのが本当に印象的。
二人の愛の絶頂の白のパ・ド・ドゥと、破滅の前の最後の愛の交歓の黒のパ・ド・ドゥ。
マルグリットの命が消え去る前の最後の一瞬の強い煌きと逃れ得ない破滅が究極なまでにドラマティックで心打たれます。
レヴァツォフさんがアルマンっぽいな〜っていうのが、ガキっぽくマルグリットを虐待し、拒絶し、でも拒み通すことができなくて、結局彼女にまつわり付いて自分を捨てないでほしいと懇願する年下っぽさというか、弱さというか、そういうのがよく表現されているように感じたのです。
本質的にはマルグリットの方がずっと強くて優しくて、パ・ド・ドゥを踊りながら次第に彼女の方にリードが移っていくような印象を受けて、美男美女で素敵なドラマを見せてもらったと思いました。
ショパンの難曲が生ピアノで沢山聞けたのも嬉しかったです。


― 第4部 ―
「じゃじゃ馬馴らし」
振付:ジョン・クランコ
音楽:ドメニコ・スカルラッティ
編曲:クルト・ハインツ・シュトルツェ
エリサ・バデネス/ダニエル・カマルゴ


原作に比べてよい意味で少女漫画な仕上がり。だって原作通りだったらねえ〜、財産目当てで兵糧攻めしてくる夫に白旗上げてそれがハッピーエンドとかちょっと笑うところ分からないもん…。そういう、現代人にとっては笑うところの分からないDVぽさをかなり薄めてコミカルにして、何はともあれ愛情で包み込んだ演出に仕上げており、しかもそれをキレッキレに踊るエリサ・バデネスとダニエル・カマルゴのカップルはとってもお似合いでした。
冒頭、ペトルーチオを思い切りビンタするキャタリーナ。バシィッと鋭い音が場内に響き渡り、思わずどよめきが上がりました。演者はちょっとにやっとしたような気がします(気のせいかも)。
ここはしょーじき女性から男性へのDVに当たりますが、ビンタくらったあとのペトルーチオが元気いっぱい鋭く力に満ちたアクロバティックな振付で舞台を飛び回るので、「DVじゃん…」みたいな引いちゃう感じがなく、ああ、これがきっかけでペトルーチオの大作戦が炸裂するのね、という説得力を感じます。
跳ねっかえりのキャタリーナもキレッキレ(これがまた手の付けられないじゃじゃ馬っぷり)、彼女を押さえ込んで言うことを聞かせようとするペトルーチオもキレッキレ(いやーキャタリーナみたいな子は大変だねえ、という共感を覚える)、見ていて楽しい絶妙なやりとりの応酬です。とってもパワフルでエネルギッシュなカップル。
クランコ振付のえらいところは、そういう荒っぽい暴力的な動作も含む踊りを、でも暴力的でなく、ちゃんと愛情として表現したところで、鼻につくところも厭味なところもない点だと思います。
ペトルーチオがキャタリーナのことが大好きなのが分かって、キャタリーナが次第にペトルーチオにほだされていく過程も分かって、最後は二人の心が通じ合ってラブラブハッピーエンドという、幸せな演目。
見ていてとっても楽しかったです。

「ヌレエフ」より パ・ド・ドゥ
振付:ユーリー・ポソホフ
音楽:イリヤ・デムツキー
マリーヤ・アレクサンドロワ/ウラディスラフ・ラントラートフ


ボリショイの話題の新作「ヌレエフ」から、ヌレエフと運命のパートナー、マーゴ・フォンテインとのパ・ド・ドゥを。
おおおー見れて嬉しい! この「ヌレエフ」は、ニュースにもなっていましたが、ロシア当局の厳しい締め付けにあい、初演が直前で急遽ドンキに差し替えられたり、演出・台本等を手掛けたキリル・セレブレンニコフ氏が何と逮捕されたりするなど、色々曰く付きの作品、というか母国ロシアにおいて不当な弾圧を受けた作品で、ヌレエフが亡命してから何十年も経ってもやっぱり旧ソって…という思いを抱かせる感があります。偏見はよくないですが。
あー日本に全幕もってきてほしいー! と思います。
そして演じるマリーヤ・アレクサンドロワとウラディスラフ・ラントラートフは、さすがはボリショイのダンサーで、鍛え上げられた肉体が的確なところに的確な動きでぴしぴし嵌まる感じで、とはいえ全体が滑らかで濃密でエレガントで、二人のパートナーシップが情熱的に流れるように歌い上げられていました。夜明けのような爽快感もありました。
衣装はタートルネックぽい、地味な色合いでした(めっちゃヌレエフっぽい)。もしかしたら全幕見たら英国ロイヤル・バレエらしい豪華絢爛な舞台衣装で踊るシーンもあるのかな? やはり全幕見たい。

「アダージェット」
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:グスタフ・マーラー
マリア・アイシュヴァルト/アレクサンドル・リアブコ


ノイマイヤーのドラマティック・バレエは大好き! しかし抽象バレエはちょっとよく分からん…というのをもう取り繕う余地もないわたくしであります。
でも、この演目は何となく心地よく見てたなあ〜というのを覚えています。
具体的にどういうこと? というとそれが難しい。ただアイシュヴァルトさんがさっと足を伸ばした時や、リアブコさんが彼女をサポートする時の動きが、ただただ美しかった。
もしかしたら抽象バレエの中の動きの一つ一つにダンサー自身の物語るものがある、ていうのはこういうことなのかなあ、その片鱗に少しだけでも触れられたのかなあ、という(勝手な勘違いかも)感慨を抱きました。
美しい踊りが見られて満足。

「オネーギン」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
アレッサンドラ・フェリ/マルセロ・ゴメス


まだオネーギンを全幕見たことはないのですが。有名な手紙のパ・ド・ドゥ。
世界バレエフェスティバル Bプロ全体を通じての白眉でした。
特に最後、アレッサンドラ・フェリ演じるタチヤーナの声なき慟哭はいつまでも胸に残り続けました。彼女のこれまでの人生、これからの人生を感じさせる渾身の演技だったと思います。
オネーギンは若い頃の傲慢さを捨て、タチヤーナの衣装に縋り付いて愛を乞うものの、既に小娘でないタチヤーナには通じない。でも、彼女の心が動かないわけではない。千々に思い乱れ、涙を流して葛藤し、それでも人生にたった一度、物語のような恋に身を任せるのでなく、拒絶して公爵夫人としての矜持と家庭を守ったタチヤーナ。
弩級のドラマですな〜。
人生にたった一度の物語のような恋、というと、源氏物語の空蝉とか、ローマの休日とか、色々ありますけども。タチヤーナとオネーギンは中年同士ということもあって、重い。
オネーギンはソロルとタメを貼るレベルのクソ男だと思いますが(すぐクソとか言ってしまう)、今ここにいるオネーギンはアレッサンドラ・フェリのためのオネーギンという感じがしました。オネーギンの振る舞いは全て、マルセロ・ゴメスがアレッサンドラ・フェリのために行う献身であると、そういう感慨を抱かせるような舞台。見ているのはオネーギンとタチヤーナなのか、アレッサンドラ・フェリとマルセロ・ゴメスなのか? だからなのか、クソ男オネーギンという印象がなくて(そもそも踊りを見ながらいちいちこの登場人物はクソだのどーのとか考えるのもどーかという気はする)、ひどく弱った気の毒な中年という感じがして、しつこくタチヤーナに取り縋る姿は「これ以上タチヤーナを苦しめないで!」と思わせる反面、やっぱりちょっと可哀想な感じもして、彼に救いがあればいいのにという同情心も湧き起こらせる。
しかし芝居が素晴らしすぎて、その印象が強烈に胸に焼き付けられて、踊りのことがあまり思い出せないという…。うぅ、もう一度見たい! けどきっともう、そんな機会はないんだろうなあ〜。
とにもかくにも素晴らしいドラマでした。

「ドン・キホーテ」
振付:マリウス・プティパ
音楽:レオン・ミンクス
マリア・コチェトコワ/ダニール・シムキン


世界バレエフェスティバルBプロのトリはドンキです。
賑やかな音楽と振付が楽しく、お祭りの最後を締めくくるに相応しい盛り上がる演目だと思います。
ひとつ前のオネーギン、フェリさんの魂の慟哭がまだ目に焼き付いているうちに始まるのですが、会場の空気に臆することなく、言うならば最初からドヤ感を纏って登場するコチェトワさんとシムキンさんなのでした。
冒頭の180度開脚片手リフト、あまりの見事さに会場からどよめきが出ました。オネーギンの気分から、一気にドンキの世界へ引き込まれました。
マリア・コチェトワは一本のマッチ棒のように美しい開脚を長時間キープ。マッチ棒という言葉の選定が悪いかもしれないけど見た時そう感じたんだもん。コチェトワさんと支えるダニール・シムキンは小柄な体躯ながら全くぐらつかずに美しい姿勢でコチェトワさんを掲げて、普段の鍛錬のストイックさが窺われます。
シムキンさんは公式サイトの出演者紹介でも「お祭り男」と紹介されていましたが、お祭り男の称号に相応しい基本に忠実な超絶技巧の連発で、場内は大いに盛り上がりました。
超絶技巧といっても、スピードと迫力でただ押しまくるのでなく、腕の動き、足さばき、見せる時の姿勢、ひとつひとつが丁寧で美しく、どんな時でも軸がぶれることなく、見ていて気持ち良かったです。
コチェトワさんのキトリも小柄で可愛いしさ。グラン・フェッテは全部シングルだったけど、余裕が感じられました。
キトリとバジルらしい、きびきびした気風のいい踊りでした。シムキンさんは次シーズン(つーか今シーズンつーか、来月)からベルリン国立バレエ団に移籍らしいので、ますますドイツ行きたくなったなあ。


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posted by 綾瀬 at 00:14| Comment(0) | 雑記・バレエ

2019年10月07日

2018/2019シーズンに見たバレエのこと

何か気が付けば1年くらいバレエのこと何も書いてないな…と思ったので、ざっと流し書き。書いてないけど、生で見に行ったり、シネマ見に行ったり、というのはまあたまに…。
てか最後に書いたの去年の世界バレエフェスティバルの記事か! ほんとすごい昔だな…。

観に行った舞台(記事に書いたもの以外)
・ドン・キホーテ(マリインスキーバレエ 来日公演2018)
素晴らしかった。でもパンフレットと脚本が違うところがあり(ジプシーたちの場面)、ちょっと「んっ?」となった。
キトリはヴィクトリア・テリョーシキナ、バジルはキミン・キム。音楽が彼女の中から流れ出ているかのような錯誤さえ生じるテリョーシキナの音楽との一体感がもはやアハ体験の域。キトリの振る舞いや仕草のひとつひとつによって音楽が奏でられている。効果音のような。圧倒的なオーラに、ロシアのバレエ団のプリンシパルとはこういうものか…と圧倒された。
キミン・キムは前にも触れているけど私は大好きなダンサーで、今回も彼の超絶跳躍を満喫できてよかった。本当にいつ地上に降りてくるのかと思わせる跳躍だよ〜〜〜。バジルの見せ場のひとつでもある片手リフトもよかった! テリョーシキナと並ぶとオネショタみたいになってしまうのはまあしょうがない…。
あと、ドン・キホーテのソスラン・クラエフが素晴らしい。立っているだけで目を吸い寄せられる。キャラクテールが舞台に如何に重要かよく分かった。
圧倒的な踊りの力をこれでもかと見せつけてくる大満足の舞台。
・ロミオとジュリエット(Kバレエ)
なんでか知らんが殆ど記憶に残ってない。舞台が茶色と黄色で暗かったような記憶だけがうっすらと。
・ラ・バヤデール(新国立バレエ)
よかった。
・ドン・キホーテ(英国ロイヤルバレエ 来日公演2019)
ダメだった。どこで盛り上がるんだよと思ってるうちに終わった。殊勲賞はエスパーダとメルセデス。キトリはヤスミン・ナグディなんだけど、全然街一番のイイ女には見えない。素朴な村娘だったらよかったかも? ジゼルとか?

観に行ったシネマ(シーズン2018/2019)
・ラ・バヤデール(英国ロイヤルバレエ)
ワディム・ムンタギロフのソロルのソロが素晴らしい。でもソロルがクソ男なので感情移入はできない(どんなラバヤでもソロルに感情移入するのは相当難しいと思われる・笑)。概ね素敵だった。マリアネラ・ヌニェスのニキヤはパワー系のファイターに見える。ガムザッティ絞め殺せそう。影の王国のコールドは、頑張ってたと思うけど新国立の方がよかった。
・ドン・キホーテ(英国ロイヤルバレエ)
結構よかった。なので来日公演を楽しみにしてたんだけど…。
・ロミオとジュリエット(英国ロイヤルバレエ)
素晴らしい。ロミオはマシュー・ボール。思わず恋しそうになるロミオ。ロミオがジュリエットと結ばれた後、もうキャピュレット家とそれまでと同じように対立できなくなってしまう板挟みが苦しい。ジュリエットと結ばれて、イキってるアホな若者から一気に一人前の青年に成長するのがなかなかどうしてたまらない。
ジュリエットはヤスミン・ナグディで、来日公演のキトリは全然気に入らなかったけどこのジュリエットは可愛くて素敵だった。
・くるみ割り人形(ボリショイバレエ)
ダメだった。シュライネルはもう見たくない。当時のツイッターに、最大限気を遣って「彼女が悪いわけじゃないけど他の女性ダンサーも見たいな」みたいに投稿してたけど、いやもうもっと上手になってからシネマの主役に戻って来てねとしか思わない。ボリショイの女性ダンサーこんなんしかいないの? そんなわけないでしょ、多分…。シュライネルじゃないけどリフトの失敗もあったし何なんやこの舞台…。

シネマはほんとうはもうちょっとマメに見に行きたいんだけど、特にボリショイは月1回だけだし月末なのでなかなか仕事の都合がつかず、結局シーズン2018/2019はくるみだけだったんだなあ〜。眠りとか見たかった…けど新作じゃなかったらしいので、アレって感じだけどw
ロイヤルは1週間やってくれるからありがてえありがてえ。
バレエシネマ、もっと多くのバレエ団でやってくれないかな〜。アメリカやドイツのバレエ団がやってくれると嬉しいな〜。パリオペも昔はやってた(?)みたいで、今やってないってことは採算が取れなかったのかな…。日本ではやってないだけで、他の国ではやってるのかもしれないけど…。

えーと、あんまりにアレでアレな感想についてはそのうち追記するかもしれませんがざっとこんな感じで…。舞台を見た直後はいまいちでもあまりネガティブなこと言いたくないんだけど(自分がお金を払った舞台がいまいちだったことを認めたくないという心理も働く)、時間が経つと冷静に…やっぱ気に入らなかったもんは気に入らなかったな、と諦めの境地に至るのであった。
ただ当たり前だけど、私が気に入らなかったからといって全ての人にとって気に入らない舞台なわけではないし、同じダンサーでも違う演目や演出、振付ならすごく気に入ったり、ということもあるわけなので、上記はあくまで私個人の感想ということで…。
上でボロクソ書いたシュライネルもパリの炎で見た時は可愛くて、よく踊れてて、最後はこえーしよかったと思ったんだ…。
そもそもの私の好みもあるしね。多分だけど私はロシア系の正統派クラシックが好きで、でもドラマティックバレエも大好きで、沢山踊る演目が好き。難易度の高い技が出るとわ〜っと盛り上がるタイプ。なんだと思います。

と、そんな感じでこれまでを振り返り、今後のバレエ観劇予定はこんな感じです。
・マダム・バタフライ(10/13 Kバレエ)
・ロメオとジュリエット(10/20 新国立バレエ)
・パリの炎(11/21 ミハイロフスキーバレエ 来日公演)
・眠りの森の美女(11/24 ミハイロフスキーバレエ 来日公演)

あとボリショイシネマのアンコール上映があるので都合がつけばなるべく見に行きたい。
posted by 綾瀬 at 21:29| Comment(0) | 雑記・バレエ

2019年10月27日

10/13 ソワレ K-BALLET COMPANY マダム・バタフライ(1)

去る10/13にKバレエカンパニーの「マダム・バタフライ」を見てきました。
最初に書いておきますが、あまりポジティブじゃなく、ネガティブな記述の多い感想です。そういう感想読むと凹んじゃうな〜という方は他の記事に飛んでくださいませ。

さて、この公演の前後は大型台風が日本列島を直撃するということで、かなり開催が危ぶまれた状況でした。実際、この前日や、同じ13日でもマチネの回は残念ながら上演中止ということになってしまっています。上演のために努力してきたカンパニーの方々や楽しみにしていた観客の方々には本当に残念なことです。私は幸い、ソワレの時間帯までには雨も止み、首都圏の公共交通機関もだいぶ回復してきていたので、帰宅難民になることもなかろうと思い、東京文化会館へ向かいました。
でも電車のダイヤが乱れていると思い、早めに行ったら全く乱れておらず、予想外に早く着きすぎてしまったのでマルイで買い物などして余計なお金をつかってしまったのでした。どうでもいい情報。

さて、今回は東京文化会館、3階席右側1列目での観覧でした。3階の正面席なら今まで何度か見たことがあるのですが、右側の席は初めてです。どれくらい見づらいかな? と思っていたのですが、予想外に見やすくてよかったです。私はどうも、端が多少見切れても舞台に近い席のほうがストレスなく見られるみたいです。まあ首は疲れますけどね。やっぱり帰った後、数日間首が痛くて、マッサージクッション大活躍でした。横向きにならないで済むような、新国立劇場オペラハウスみたいな席の向きがいいです。建て替えの際は是非ご考慮いただきたい。
そんなこんなで、予算不足の時のバレエ鑑賞には3階の左右席1列目なんかも結構いいな〜と思いました。高いところが苦手なので、4階、5階は試したことないです。3階も本当はちょっと怖い。

で、今回の「マダム・バタフライ」ですが、Kバレエカンパニーの完全新作グランドバレエです。
勿論、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」に着想を得た作品で、大まかな筋はそれに則ったものですが、そうは言ってもディテールには大分独自の創作が加えられていました。

芸術監督/演出/振付/台本:熊川哲也
原作:ジョン・ルーサー・ロング
音楽:ジャコモ・プッチーニ、アントニン・ドヴォルザーク
舞台美術:ダニエル・オストリング
衣装:前田文子
照明デザイン:足立恒
指揮:井田勝大
演奏:シアターオーケストラトーキョー

蝶々夫人:成田紗弥
ピンカートン:山本雅也
スズキ:前田真由子
ボンゾウ:杉野慧
ゴロー:伊坂文月
花魁:中村祥子
ヤマドリ:高橋裕哉
ケイト:浅野真由香
シャープレス:スチュアート・キャシディ


新作のグランドバレエを作ろうという気概とか、実際に作り上げてしまう実力とか、Kバレエのそういうところ、本当にすごいと思います。色々なバレエ団で色々な取り組みをしていると思いますが、完全新作の全幕物を作れるところはそうそうないかと。

舞台の幕には和装と洋装の二面性を持った女性の肖像(とても秀逸!)が日本画風の画風で描かれています。すごくドキドキしながら幕が上がるのを待っていました。
そして幕が上がり、プロローグが始まります。全体に黒く沈み込んだ舞台に、白装束の男性が進み出てくる。彼はバタフライの実父で、(オペラだと西南戦争に加担した罪を得て)切腹によって自害しなければならない立場に追いやられてしまう。そしていざ切腹に臨む男性の傍らに立ち尽くす目隠しをされた少女、未来のバタフライ。彼女の呆然と、寄る辺なく立ち尽くす姿に、見ている側も否応なく緊張してしまいます。切腹によって命果てた父の短刀は少女の手に渡り、彼女はいつの間にか舞台に現れていた格子とその向こう側に蠢く苦界の少女たちの元へ走り寄って、この後の彼女の運命が物語られます。
ここはすごい迫力でした。ドキドキしちゃったね。

そしていきなり結末のことを言うけど、これはこの血族に降りかかる呪いの物語だった。
何故ならバタフライもまた父の短刀で自害する。その傍らにはバタフライの息子が目隠しをして立たされている。バタフライの命が果てた後、その短刀は息子の手に渡る。息子は短刀を手に駆け出していく。
呪い以外の何物でもない。自分が命を絶つほどつらい思いをしたのなら、息子にはそんな思いはさせたくないはずだろうに、バタフライの父がバタフライに呪いを残したようにバタフライは息子に呪いを残していく。
バタフライからピンカートンへの愛の絶唱はこの結末の前で呪いに変わり、その呪いを受け継いだ息子は母を殺した父に、養母に、アメリカに復讐するのだろうか、それとも彼も呪いの前に膝を屈して自ら死を選ぶのだろうか、いずれにせよ陰惨な未来が想起され、この後つらつら書くけど、正直バレエとしては気に入らないところがいっぱいあったんだけど、私はこの呪いの観点からのプロローグと結末は結構好きなのだ。親としては最低だけど。

プロローグが終わり、1幕1場はこの熊哲版マダム・バタフライのオリジナル場面。新人の水兵たちの最終訓練と、彼らの教官であるピンカートン、その婚約者ケイトや友人たちの華やかな踊りが続きます。いかにもグランドバレエの始まりにふさわしい踊りの連続、ではあるんですけど。
正直に言っちゃいますけど、水兵たちの踊り、下手じゃありませんでした? 音外してる人はいるし、全然跳べてないし、学芸会かなって思っちゃった。正直びっくり。
ただ、ピンカートンはさすがの踊り。登場時のソロは特に音楽性の高さと踊りのしなやかな力強さがとても素敵でした。ピンカートンが魅力的な男性であることが伝わってきました。
そしてケイトは、この場面があるから後の場面で観客は彼女を憎まないで済むのだと思えるような、明るくて楽しげな女性でした。ピンカートンとケイトのPDDはふたりの明るい交際関係を反映したような軽やかな踊りで、特にリフトは素敵でした。この時の二人には全く情念らしいものはなくて(そりゃそうだろう)、もしかしたら清らかな? 交際関係なのかなと感じました。この時代のアメリカの男女関係っていうのは、どうなんでしょうか。結婚するまで清らかなのが普通かな? 明るくて楽しげで、未来に何の不安も思い描いていない若々しいカップルで、重みとかは全然ないのね。そこがいいです。
ケイトの友人たちがやって来て、水兵たちと華やかな群舞を繰り広げるシーンは、本当に華々しくて楽しく、よかったです。ケイトの友人たちの中では、青みの強いブルーグリーンみたいな色のドレスの女性がひときわ華やかに、体を大きく使って踊っていて目を引かれました。私人間の顔が覚えられず、覚えてもあまり区別がつかないタイプなので、すみませんがどなた様かお名前は分かりません…。

で、1幕2場。ピンカートンはアメリカを離れ、遠い日本、長崎へ赴任します。長崎には遊郭があり、舞台上には左右に赤く塗られた張見世の格子が立ち並び、灯篭や提灯が妖艶な夜の空気を作り出しています。
ここも熊哲版マダム・バタフライオリジナルの場面ですが、この遊郭でピンカートンとバタフライは出会います。でも、二人が出会う前に物珍しげに遊郭をひやかすピンカートンらアメリカ海軍士官たちや、苦界に落ちたバタフライを探す叔父ボンゾウ、それから物語に直接は関係しませんが、美しい花魁道中の様子などが描かれます。
花魁道中は、本当に美しかったです。バレエの技法で、外八文字の動きを表現する振り付けの妙を存分に味わい…ました、と言いたいところですが、3階席右側からだと取り巻きの振袖新造たちに遮られてしまって花魁の足元はあんまりよく見えませんでした^^;
まあしょうがない。でも、1度ははっきり、遮るものなく花魁の足元が見えて、本当に素敵だっただけにもっと見たかったな〜と思ってしまう。
で、ここの花魁と、彼女を取り巻く振袖新造さんたちの衣装がとても素敵なのです。腕の動きが見えるように袖は透け感のある生地で作られています。花魁は薄紫を基調とした振袖(花魁が着てるのって振袖なんだろうか? 振袖以外の着物の種類だったらすんません)、袴は紅色、帯は金銀、新造さんたちの振袖は薄紅色のグラデーション、袴は紅色、帯は若草色、と何とも艶やかで美しい色合いで、袖があるからそれがひらひらと舞って、照明の色彩によってそれらの色も変化して、本当に夢幻のような万華鏡のような美しさでした。

今書いていて、この辺までは私、あまり不満もなく(ちょっとはあった)楽しんでたんだな〜と思います。

この遊郭のシーン、ここで主人公のバタフライが登場します。彼女は桜の小枝を手に通りを走り、花魁にぶつかって彼女を転倒させてしまいます。オイオイこりゃどんだけ謝ったところで折檻だなと思いつつ見守っていますが、バタフライは気後れしたようにちょっと小首を傾げるようなちょっとおじぎをするような、控えめな謝罪の態度を示すのみ。おいおいおい。自分のせいで人を転ばせたんなら助け起こす素振りくらい見せんかい。この子もしかしてちょっと頭ヤバい子かな。と咄嗟に思ってしまい、この時思った「ちょっと頭ヤバい子かな」がその後もずっと私の中で尾を引くことに…。

で、花魁は自分で立ち上がり、舞台の後方へ。無邪気に踊るバタフライ。やべえな。ちょっと頭ヤバい子かな。彼女のその様子が気に入らず、自分の取り巻きにやらせればいいのに何故か自らバタフライを突き飛ばしに行く花魁。そして花魁ほどの高位の遊女が自らの手でやりにいくのが納得いかない私。でももっと納得のいかない、人を転ばせておきながらちょっと頭下げて後はもう何事もなかったかのように無邪気に踊るバタフライ。頭ヤバい子やん。

そうこうするうちに、叔父ボンゾウがバタフライを見つけ出す。彼女を乱暴に連れ戻そうとするボンゾウ。彼女も好きで苦界に落ちたわけではないんだろうからお金を払って身請けするしかないだろうにこのおっさんどうするつもりやねん。金あんのか? と思う私。おっさん呼ばわりしていますが、ボンゾウは剣術の達人だしく、時々出てくる刀を抜くシーンはさすがの格好良さでした。
結局ボンゾウは退出し、しょんぼりするバタフライに、彼女が落とした桜の小枝を差し出すピンカートン。でも、バタフライは逆に、彼にその桜の小枝をプレゼント。この時のバタフライの踊りは恥じらいや少女らしさや無垢さがとっても可愛らしくて、私がピンカートンだったとしてももうずっきゅーんな感じですが、まあ頭ヤバい子かなって思ってるからさ、今は……。
斡旋屋たちの勧めもあり、ずっきゅーんなピンカートンはバタフライを娶ることに決めます。

で、3場。ピンカートンの長崎の家の庭。ピンカートンとバタフライの祝言が行われます。ここのセットが私、意味が分かんないんだけど。っていうのは、ここは庭なんですよね。屋外で、セットもそれとしてつくられています。でも、やってることが半分くらい、「それ室内でやることでは?」と思うことで。バタフライとピンカートンが互いに三つ指付くシーンとか、バタフライが嫁入り道具を夫であるピンカートンに披露するマイムとか、結婚を祝してのワルツ(でも日本人は踊れない、というコミカルな踊り)とかがあるんだけど、それ、普通室内でやりません? 庭先でやんないでしょ…。ワルツはまあ、野外ウェディングだとすると、屋外でもいいけど。それが気になって、なんかいまいち集中できない。

それに2場では美しく思えた着物の衣装が、白無垢だと肌着みたいに見えてしまって、なんだかだらしなくって言うとさすがに言いすぎなんだけど、とにかくあまり美しく思えなかった。あと、これ言うの迷うんだけど、袖がさあ。振袖部分が。蝶々の羽が仮託されていると思うし、日本を舞台とする以上、着物の表現は必要だと思うんだけど、この場面ではバレリーナの美しい体の動きを見るのには、ごめん、邪魔に感じちゃったよ…。

ま、とにかくピンカートンとバタフライは結ばれます。バタフライはキリスト教に改宗までしてしまう。激怒したボンゾウが乗り込んできたり何だりもありますが、とにかく祝言は完遂され、ふたりは晴れてめおとに。とはいえピンカートンからすればあくまで遊びの結婚、本当の結婚ではなくて、単なる現地妻。一方、改宗までしたバタフライはそんなことには気づかない。本当の愛によって結ばれたと思う浅はかさ。この浅はかさで彼女は不幸に突き進んでいくわけだけど、この婚儀の終盤で出てくるふたりのPDDは美しく、仮初めでも遊びでも二人が愛によって結び合わされたということが伝わってきました。
仮初めでも本当の愛。難しいテーマですね。

この1幕3場も次から次へと踊りが繰り広げられて、そういう意味では楽しかったけど、特に見どころのある踊りはなかったかなーって感じ。ピンカートンとバタフライのPDDくらいかな。あと、前述の、ワルツが踊れない日本人たち。開き直って盆踊りする奴までいる始末で、単純に面白いです。

ただ、主人公カップルの他には遊郭の遣りて(バタフライの結婚に合わせてバタフライの世話係に転職)のスズキはきびきびと端正に踊っていましたが、ここも取り巻きのバタフライの友人たちの踊りがなんかいまいち。特に傘の踊りは、もたもたしてませんでした? ぶつかりそうになったのか、それを避けるためなのか、なんかキマってなかった。

「マダム・バタフライ」って、全体的に振り付けがすごく難しいのかも?

あ、スズキの衣装はやっぱり和服でしたが、よかったですね。踊りの邪魔にも感じませんでした。白無垢が私的にいまいちだったのはなんでかなあ〜。白いドレスの踊り(ジュリエットとかマノンとか)、嫌いじゃないんだけど。白いドレスには袖がない(か、あっても腕にぴったりくっついている)から…?

長くなってきたので2幕は次の記事で書きます。

posted by 綾瀬 at 22:41| Comment(0) | 雑記・バレエ