2017年10月03日

ベルギー旅3日目(17) ゲントを夜のお散歩

前回、真っ暗なゲントに降り立ち、何とかホテルにチェックインしたところまで書きました(タクシー使っただけだけど)。

真っ暗なんだけどね、時間はまだ18時とか19時とかそんななんですよ。宵っ張りの私にとっては朝のような時間です。なのでお散歩へ行くことにしました! ついでにご飯をゲットしたい! さっきブリュッセルでムール貝食べたよねとか言ってはいけない。食べたいものは食べたいのだ!

えー、ゲント駅に着いた頃降っていた雨はこの頃止んでいました。なので絶好の(?)お散歩タイム。夜遊びといってもお散歩するだけなのだから健全なもんです。夜遊びといえばいつかタイのゴーゴーバーに行ってみたいんですが…。まあ…いつかタイに行ったら……。

夜のお散歩をする前にちょっとだけゲントの街の復習を。
ゲントは中世に隆盛を誇った商業の街です。同じく中世以降ベルギーで栄えたブルージュとはライバルとも言える関係のようですが、現在はブリュッセル、アントワープに次ぐベルギー第3の都市だそう。
現在の言語は主なオランダ語(ブリュッセルはフランス語)。

9世紀以降、フランドル伯を君主として戴いていました。フランドルというのは勿論元々フランス、というかフランク王国の領土で、相続やら何やらで分割されたり併合されたり、まさに欧州情勢は複雑怪奇なりぃって感じで世界史に明るくない私にはちょっと難しい。

最後のフランドル伯(女伯)はシャルル突進公(イケイケゴーゴーのおっさん)の令嬢のマリー・ド・ブルゴーニュだと思っていたら全然違ってて、マリー・ド・ブルゴーニュは確かにフランドル女伯でもあるんだけど、それよりブルゴーニュ公国の最後の君主(女公)としての方が有名でした。ブルゴーニュ公国が実質、彼女の死の前後に崩壊したのは事実であるにせよ、フランドル伯、ブルゴーニュ公、共に称号自体はその後も残り続けたみたいだし、勿論領土をめぐっての争いもあった模様。マリー・ド・ブルゴーニュのご主人は神聖ローマ帝国皇帝のマクシミリアン1世で、っていっても当時はウィーンはド田舎で、お金持ち度合いや文化的洗練度合いではブルゴーニュの方が断然上だから、マクシミリアン1世は入り婿っぽい感じ。妻の権威を自分の地位や領土の保全にも上手く活用できたみたいですね。悪い意味でなくて。カッペのマクシミリアン1世はオシャンティなフランドルに馴染むために相当な努力をしたそうです。有能。

そんなこんなで、マリー女公とマクシミリアン1世は仲睦まじい夫婦だったそうですが、マリー女公は早世してしまいました。マリー女公が生きていた内は共同統治者として彼女の領国を一緒に統治していたマクシミリアン1世だったものの、妻の死後は「自分たちはブルゴーニュ公の臣下であってマリー女公の旦那に過ぎないカッペのマクシミリアンの臣下ではない」という理由で反乱を起こされてしまい(勿論そんだけではないと思うけど。シャルル突進公の娘のマリー女公が亡くなったため、悪家老的ポジの奴が自分にもワンチャンあるとか思ったんじゃなかろうか)、妻の遺領を自分自身で治めることはほぼ断念しなければならなかったよう。マリー女公がご存命の際にはマクシミリアン1世はかなり友好的に迎え入れられていたそうですから世知辛いもんです。かわいそう。

んじゃーマリー女公の遺領はどうなったかというと、息子のフィリップ美公に受け継がれ(フィリップ美公はマリー女公の子供だからセーフ理論)、このフィリップ美公の子供がカール5世(スペイン王としてはカルロス1世)だから、その系譜でフランドルやブルゴーニュはスペイン・ハプスブルク家に代々継承されていったのでした。元々フランスの領土だけに(マリー女公からしてヴァロワ朝の系譜の姫君)こいつは紛争の種にしかなりませんね。フランス・スペイン間で戦争が起こりまくるのも納得です。私は正直、フランドルとかブルゴーニュって言ったらフランスの印象の方が強いしね。いや西洋史明るくないから勝手なイメージだけどね。何ならブルゴーニュとブルターニュの区別ついてないからね。

ってかこの息子のフィリップ美公ってあの狂女フアナの狂気のきっかけになった旦那のバカ公であります。
バカ公のことはこの記事でちょっと触れました。
何故有能な父母からこんなアホボンが生まれたのか……。自分のとーちゃんが女公の夫に過ぎないつって排斥されたのに何故カスティーリヤ女王の旦那に過ぎない自分がカスティーリヤ王になれると思ったのか……。

ちょっと話がずれましたが、とにもかくにもフランドル伯という称号は18世紀まで残り、非常に由緒正しく権威ある爵位として有名なようです。中世フランス(及びその周辺)を舞台にした小説なんかを読んでると、フランドル伯という名前はよく出てくる気がします。

そのフランドル伯という爵位はフランス革命のあおりを受けて一旦消滅したものの、19世紀にまた一度復活し、ベルギー王室の方の儀礼称号として用いられていたそうです。なんと! といっても20世紀にまた廃止されたようで、現在ではフランドル伯の称号を持つ方はいらっしゃいません。とはいえそんな最近まであの「フランドル伯」の称号は実際に使われていたのですねえ。そう思うとすごいな。中世は本当に現代に繋がっていたのだなあ。などと思います。

で、そんなフランドル伯の居城は現在もゲントの地に残されています。勿論、後日実際に訪問しちゃいました。その記事はいずれ出てくると思います。

で、で、そんな各国の思惑の入り混じるゲントは中世以降、毛織物を中心とした交易が非常に盛んで、当然、有力な商人たちが台頭し、ギルドを結成し、それぞれが作った素敵なギルドハウスが現代にも沢山残されているという、中世の面影を色濃く残した古都であります。交易は張り巡らされた運河によってなされ、その運河沿いに並び立つギルドハウスが本当に素敵で、いかに中世、この街がお金と力を持つ栄えた都市だったかが偲ばれます。

今もベルギー第3の大都市なので、決して衰退したわけではなく、近代的な産業都市への転換も上手くいったのでしょう。後日、トラムを乗り間違えてに乗ってちょっと観光の中心地を離れた場所を彷徨った訪れたのですが、普通のオフィスビルぽい建物がシステマチックに立ち並んでいて、高層ビルはないんだけど、ごく普通のビジネス街みたいな雰囲気も大いにあったのでした。

さて。
そろそろ夜のお散歩に……。

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ちなみに夜のゲントの街並みはこんな感じ。うひょー素敵!
石畳に石造りの建物。武骨な電柱やら電線やらはなく(まあトラムの架線はあるんだけど)、眩しくなりすぎない程度に施されたライトアップ。
楽しくなってどんどん歩きます。ホテルの近くは中心部からはほんのちょっと離れているので、私の他には殆ど誰もいません。

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石畳の足元からしんしんと冷気が這いあがってきて、足の指がかなり冷え冷えとしてしまいます。頬に触れる外気はぴりぴり張り詰めたように鋭く、ダウンコートを着ていても何だか周囲から圧迫されるような寒さを感じました。

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でもお散歩は続ける。
この写真の黄色っぽく照らされた建物は何でしょうね。1階は飲食店っぽいかな。小塔が素敵だ!

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この写真お気に入り。
建物がいちいち素敵なんだなー! この建物はなんとスーパーマーケット。

人が全然いないおかげで夜のゲントの街を独り占めです。
控えめなイルミネーションが、雨が降って濡れた石畳にぼんやり映り込んで、すごく暗いんだけどあちこち白く光っていて、本当に雰囲気満点でした! 素敵な魔法でも起こりそうな夜だったよ〜〜〜何も起こらなかったけどね!

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って、人いた・笑
この写真を撮りまくっていたのはホテルの近くの「金曜広場」です。中世の頃にはこの辺りの人々の集会場として使われていた場所なのでしょう。結構広いです。

IMG_0469.JPG
これは翌朝撮影した、同じ「金曜広場」の写真です。まだちょっと暗い。といってもそんな早い時間帯ではないのですが。
映っている像は中世の毛織物商人のリーダーだったヤーコブ・ファン・アルテフェルデさんという方だそうです。すごい大金持ちだったんだろうな…。
ハッ、つい下衆な想像をしてしまいました。
商人の像が現代に残るとは、さすが、商業で名を馳せた町ですね。

長くなったので、今回の記事はこの辺で。


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posted by 綾瀬 at 22:15| Comment(0) | 16年12月ベルギー
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