2019年01月10日

ベルギー旅6日目(4) メムリンク美術館へやって来ました(3)

と、精密な絵を見たところで。

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…んんっ??

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絵、下手かな?
と、まあ、このレベルの(失礼極まりない)絵もあったわけですが、人体の部位を解説する一枚のようなので、そこまで精密でなくても用をなすでしょう。なすでしょうが、何とも言えない表情に、何だか笑えてくる。でも、ここの修道士や修道女たちは実際にこうした絵を教科書として医術を学んでいったのでしょうから、笑ってはいけない気も…いや、でも、絵が下手にも程が・笑

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修道女たちの集合写真。この聖ヨハネ施療院は、初期には修道士と修道女が両方在籍していたそうですが、ある時期修道士が別の施設に移り、以降は修道女のみが19世紀まで在籍していたとの由。

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診療器具2連続。
何だかおどろおどろしく見えるけど、それは現代でもそーでしょう。

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そしてその診療器具をどう使うかというと、こう。

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こう。

……痛そう。ギャース。

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またまた集合肖像画(ワリカン)。どう見ても修道士ではないので、医師たちでしょうか。

さてさて、特にルートなども考えず気ままに見学しているうちに、聖ヨハネ施療院一番の目玉(俗っぽ過ぎる表現で恐縮)である聖ウルスラの聖遺物箱のコーナーにやって参りました!

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聖遺物箱とは、その名の通りキリスト教における聖遺物を納める箱で、聖遺物とはイエスやマリア、その他諸聖人の遺品や遺体などのこと。その昔、キリスト教の聖堂には必ず聖遺物が納められていなければならないというルールがあったとかで、中世の昔には教会間で聖遺物の奪い合い、盗み合いなんかよくあったそうです。せ、聖職者とは…。
この聖ヨハネ施療院に納められていた聖遺物は保存のために今では別の場所にあるようですが、聖ウルスラを始めとする聖人たちの聖遺物が、この聖遺物箱の中に入れられて信仰を集めていたようです。

で、この聖遺物箱の絵を手掛けたのがメムリンク! 勿論メムリンク一人で作り上げられる箱ではなく、この細やかな黄金の装飾を見ても分かる通り、彫金に関わる複数の職人たちの合作とも言えます。

さて、聖女ウルスラとは。
詳しくはWikiをご覧ください。
聖ウルスラ

簡単に説明すると、伝説上の4世紀末のブルターニュの王の娘(ブリトン人とも)で、熱心なキリスト教徒。嫁入りに当たっては一万一千人もの処女たちを同行させる。自分の婚約者にキリスト教の洗礼を受けさせ、ケルンを経てローマへ巡礼。その帰途、再びケルンへ到達したところでフン族の襲撃を受け、侵略者たちの首長から言い寄られるもののそれを拒絶したため矢で射られて殉教した。というような逸話を持つ聖女だそうです。
実在性は極めて乏しく、恐らく伝説上の存在でしょうが、中世においては多くの崇敬を受けていたようです。

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さて、実はこちらは聖遺物箱の背面なのだそうですが、中央の眉の薄い方が聖ウルスラ。彼女のマントの元に庇護されているのが彼女の嫁入りに従った10人の聖処女たち。キリスト教の絵画の伝統にしたがい、重要人物ほど大きく、そうでない人はほどほどの大きさで描かれています。
この聖ウルスラ+10人の聖処女たち=11人に対して、ひとりにつき1000人の処女たちを従わせたため、1万1千人(以上)もの聖処女たちが聖ウルスラの結婚に伴い、ローマへの巡礼の道を辿ります。

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これは聖遺物箱の側面で、華々しい巡礼のシーン。ストーリーは左側から始まって、一番左がケルンへの到着、真ん中がバーゼルという街に着いて船を降りて徒歩でローマへ向かうところ、一番右側が遂にローマへ到着し、婚約者や聖処女たちともども教皇から歓待を受けるシーン。
聖ウルスラは青い袖の中着に白い胴衣、やや紫味を帯びた青っぽいスカートという姿で描かれているので、小さい写真ですが何となく分かりやすいかな?
ここまでは、聖ウルスラの物語の中でも光の煌くような栄光の場面が続きます。

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そしてこちらが反対側の側面。こちらもやはり左側からストーリーが進んで、一番左はローマを出発する場面。真ん中はケルンに到着し、フン族の襲撃を受けるシーン。この場面で聖ウルスラの婚約者はあえなく殺害されてしまっています。そして一番右は聖ウルスラがフン族に矢を射られ、殉教するシーンです。
フン族ということにはなっていますが、装束はアラブ風と西洋風のちゃんぽんで、まあ全然フン族には見えません。特に聖ウルスラに矢を向けている人物は西洋の甲冑のように見えてしまう。でも西洋人の目から見ればこんなの全然西洋風じゃない! ってなるかな?

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フン族に殺害される聖ウルスラの婚約者。

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今まさに矢を射られんとする聖ウルスラ。古代や中世のような色々ヒャッハーな時代であれば、いちいち女を口説くんじゃなくとりあえず問答無用で犯すんではなかろうかという気もしますが、そこは処女のまま殉教というのが重要なファクターでもあるかと。

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照明が映り込んでしまってどうしても上手く撮れなかったのですが、こちら側が聖遺物箱の正面だそうです。聖母子と、左右に描かれているのは聖遺物箱制作の発注主と思われる2名の修道女。

絵の部分以外にも、聖堂そのものを模したような屋根や柱部分の緻密な彫刻が本当に見事です。鈍い金色の光輝は聖人の聖遺物を納めるのに実に相応しい輝きであるように思われます。


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posted by 綾瀬 at 08:12| Comment(0) | 16年12月ベルギー

2019年01月15日

フランス旅0日目(1) 南仏周遊! ひとり旅

まだ2年前のベルギー旅行記をちくちく書いている途中ですが、2018年-2019年の年末年始はフランスに行ってきました。南仏中心に、カルカッソンヌ、アヴィニョン、リル・シュル・ラ・ソルグ、アルル、マルセイユ、エクサンプロヴァンス、パリ、と周遊して参りました〜。日帰りの街も多いけどね。宿泊したのはカルカッソンヌ、アヴィニョン、マルセイユ、パリです。

旅行記を書けるのはいつになるか分かりませんが、とりあえず写真だけでも。

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掏摸がいたり、デモ隊がいたり、生ものに中ったり色々な出来事がありましたが楽しかったです!
フランス大好きになりましたね〜(今まで好きじゃなかったってことはないですが)。
また行きたい!

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posted by 綾瀬 at 19:46| Comment(0) | 18年12月フランス

2019年01月20日

ベルギー旅6日目(5) メムリンク美術館へやって来ました(4)

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宗教画や彫刻、メムリンク関連の展示がある辺りの写真2連続です。前回の記事でいきなり聖ウルスラの聖遺物箱を見学してしまいましたが、どちらかというとそれはクライマックスの方に置いてあったらしい。別に固定のルートが指定されているわけでないけど、何だかいつも順路を逆走しているような気がする…。人生が迷走している…。

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修道院の建物がそのまま博物館になっている。今いる場所は広さからして、病床兼礼拝堂だった場所ではないかなと推測。アーチの上の2階部分も、礼拝堂っぽい感じがいたしはしませんでしょうか。

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絵画の見学に戻る。メムリンクの手によるヤン・フロレインスの三連祭壇画。ヤン・フロレインスというのは発注主で、昔この聖ヨハネ施療院の長だった方とのこと。
中央は東方の三博士の礼拝。若々しい聖母子に、その後ろに立つ赤い衣の聖ヨセフは宗教画あるあるでまるでおじいさん…。こちらの中央の一枚の左端にいる黒い衣の修道士が、発注主のヤン・フロレインス氏との由。

向かって右側のパネルは「神殿奉献」の場面。
当時、ユダヤの民には長子を神に捧げるという伝統があったそう。マリアとヨセフの夫妻もその伝統に従ってエルサレムの神殿へ赴き、イエスを神殿へ捧げた。その時女預言者のアンナがイエスを見出し、人々にイエスのことを伝えたという。またこの時、こちらも預言者である聖シメオンがイエスを抱き上げたという。この絵でもイエスを抱きあげているのが聖シメオン。その聖シメオンと、青い衣の聖母との間にいるのが女預言者アンナ。

向かって左側のパネルは「降誕」の場面。聖母子と聖ヨハネ、そしてキリストを祝福する小さな2名の天使たちが描かれている。

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祭壇画を閉めた時、表に来る側の部分にも、それぞれ絵が描かれている。右翼には聖顔布を持つ女性の絵。聖顔布を持つ女性、となると聖ヴェロニカでしょう。処刑のため十字架を背負ってゴルゴタの丘をのぼるイエスの汗を自らのショールで拭ってやると、そのショールにイエスの顔が浮かび上がったという逸話の持ち主。

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同じく左翼には、洗礼者聖ヨハネwith神の仔羊。
割りと若々しく描かれている気がする。別にこの絵に向かって言うわけじゃないけど、聖ヨハネはヘロデ王の妻や娘が心奪われるというに値するイケメンに描いてほしいと常々思っている。

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三連祭壇画なので、鍵留がある。上部の細工が可愛らしい。

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さて、こちらもメムリンクの手による作品で、アドリアーン・レーンの三連祭壇画と呼ばれているもの。イエス・キリストの(地上の)死を描いた絵画です。

中央のパネルは、まさに十字架にかけられ息絶えたイエス(が十字架から降ろされたところ)。この写真だと全然分かりませんが、彼のために祈る聖母マリアの目は真っ赤に腫れています。母の気持ちを慮れば、さもありなむ。
後ろにいる青い衣装の女性は、一説にはイエスの妻とも言われるマグダラのマリア。こちらもこの写真では全くもって分かりませんが、彼女の瞳からは大粒の涙が零れ落ちています。

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向かって右側のパネルは塔を持つ聖人ということで、聖バルバラ。以前の記事でも触れたことがあるような気がしますが、キリスト教が禁教であった時代、あまりの美貌に、求婚者たちを遠ざけるため父親によって塔に閉じ込められてしまい、そんでもって色々あってキリスト教徒であるということがバレてしまい、その後また色々あって殉教したという、恐らくは伝説上の聖人。

向かって左側のパネルのアップは撮ってなかった…。黒い修道士姿の男性と騎士のような格好の男性が描かれていますが、修道士姿の男性がこの絵の発注者のアドリアーン・レーン氏で、実際にこの聖ヨハネ施療院所属の修道士だったとのこと。騎士のような格好の男性は彼の守護聖人だそう。

さて、こちらの祭壇画も、閉じた時表に来る面にも絵が描かれています。

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右翼の絵画。わーい裸だ(最低)。
エジプトの聖マリアという聖女で、元娼婦だったものが悔悛し、以降は厳しい修行生活を送ったという。彼女の持つ3つのパンは、厳しく質素なその修行生活を表すものだそう。

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左翼の絵画。聖ウィルゲフォルティスとのこと。伝説によれば、この方はポルトガルの名家の令嬢で、父親によって無理矢理異教の王と結婚させられそうになり、神に祈ったところ髭が生えてきた。その髭のおかげで結婚しないで済んだものの、怒った父親によって十字架で処刑されてしまった。という聖女だそうです。
神に祈ったところ髭が生えてきたという、神様のその結婚回避方法がオリジナリティ溢れてる。発想力すごい。この絵も実際に聖女の顎と鼻の下に髭らしいものが描き込まれているんだけど、うっすらとなので写真ではよく分からない。
なおSDカードには必死で髭を撮ろうと彼女のアップが何枚も収められているものの、アップ過ぎたり暗すぎたりしていずれもブレまくっており、結局1枚もはっきりとは写せなかった。
私は何故そんなにも聖女の髭を撮影しようと必死だったのか…。

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疲れたから休憩したいな〜、あっベンチがある。と思って近寄ったところ、ベンチでなく石板の展示でした。
施療院の昔の床や壁だったのかな?

それにしても石造りの建物って本っっっ当に寒い。ホッカイロを仕込んでいるものの、足の裏からしんしんと寒さが伝わってくる。寒がりながら見学を継続します。


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posted by 綾瀬 at 03:06| Comment(0) | 16年12月ベルギー

2019年01月30日

ベルギー旅6日目(6) メムリンク美術館へやって来ました(5)

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ベンチがなかったので黙々と見学に戻ります。こちらもメムリンクの作品(だと思う)。詳しいことはよく分からないけど、多分聖十字架伝説を描いた祭壇画です。
聖十字架伝説とは、13世紀に成立した「黄金伝説」というキリスト教の聖人たちの伝説を集めた書物の中に収められている伝説で、この本は現代人の目から見るとかなりぶっ飛びーな感じの話が多く、まともに読んでいくと史実とのつじつまの合わなさに頭が混乱してくるんですが、そうは言っても中世では広く読まれていたようです。
で、聖十字伝説は、キリストが架けられた十字架にまつわるかなり大河ファンタジーな伝説です。十字架の辿ってきた歴史が、アダムとイブの時代からキリストの磔刑後、何と7世紀の東ローマ皇帝ヘラクレイオス1世の時代に至るまでの長期に渡って物語られています。本当に聖書準拠なのかは私にはよく分かりませんが…。

それはさておき、この祭壇画で描かれているのは一連の聖十字架伝説の中でもクライマックス的な場面です。向かって左側は、前述の東ローマ皇帝ヘラクレイオス1世が宿敵ササーン朝ペルシア帝国皇帝ホスロー2世との戦いに勝利し、奪われていた聖十字架を奪還して華々しくエルサレムに凱旋しようとしたところ、石が崩れてきて城門が閉ざされ、入城を果たせなかったというところ。これは「イエス・キリストはかつてそんなキラキラ着飾って馬に乗ってエルサレムに入ったりしませんでしたよ」という天からの戒めだそうで、天使から注意を受けたヘラクレイオス1世は、向かって右側のパネルのように、馬を降り、装飾品や肌着以外の衣服を脱ぎ捨てて聖十字架を掲げたところ、門を閉ざしていた石は元に戻って無事エルサレムへの入城を果たせたとのこと。
あんたらのために十字架を取り戻して戦争から疲れて帰ってきた一行を温かく迎えてあげるくらいのことできんのかね…と思う現代非キリスト教徒の私であった。でもそうやって為政者が調子に乗るとロクなことがないので、為政者は謙虚であれという戒めには良い説話であるとも思います。
ところでヘラクレイオス1世のライバルホスロー2世はイスラム化される前の最後のオリエント皇帝で、ビザンツの皇女シーリーンとの恋物語の伝説でも知られる何かロマンチックな皇帝です。

文字ばっか。とっとと次へ進みましょー。

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こちらもお馴染みキリスト降誕を描いた3連祭壇画。作者が分からん…。お分かりになる方は教えてください。

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古い時代のものと思われる、天使を描いた壁画。主線を全部黒で描く漫画チックなタッチ。素朴な絵柄で、言い換えればデッサン狂いが目立つ。宗教画特有のデフォルメとも違うこういう壁画は、当時のプロフェッショナルが手掛けたものなのか、プロでない人が一生懸命描いたものなのか、どうなんでしょうかねえ。まあもし素人が描いているのであれば、これだけ描けてれば十分だと思いますが。

などと人様の描いた絵を遠回しに下手だなーと思いながら(私は絵がとても下手です)進んでいくうちに、聖ウルスラの聖遺物箱に並ぶ至宝、メムリンク美術館二つ目の目玉作品が展示されている部屋へ辿り着いておりました。

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部屋の後方から。暗い礼拝堂の中、一点光を浴びて鎮座する祭壇画。展示方法も何だか劇的。

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近付いて撮影。暗いせい(?)か、何かボケてる。

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メムリンクの手による「聖カタリナの神秘の結婚」という作品です。中央に座すのは聖母子、その向かって左側に座り、イエス・キリストに向かって左手を差し伸べているのが聖女カタリナです。文様入りの黒と金色のスカートの方です。この写真だと分かりづらいと思いますが、実はイエス・キリストはこの聖女カタリナの左手の薬指に金の指輪を嵌めようとしています。
この聖女カタリナは、伝説によれば、3世紀頃にエジプトのアレクサンドリアに生きた聖人であるとのことです。名家の令嬢で、多神教の時代にあって密かにキリスト教に帰依し、ローマ皇帝に言い寄られるも拒絶、惨たらしい拷問の末に斬首されたという殉教者だそう。
彼女が殊に有名なのは、キリストとの結婚を幻視したというエピソードによると思います。ある時彼女は天国に運ばれてキリストから指輪を与えられ、婚約するという幻視を体験したそう。それがこの祭壇画の中央のパネルの場面です。
聖カタリナの反対側に座す緑色のドレスの方は聖バルバラ。前にも言及したことがありますが、あまりの美貌に塔に閉じ込められて求婚者たちから遠ざけられていたというキリスト教の殉教者です。
彼らの背後に立つ二人の男性は、これも聖人でそれぞれ同じ名前を持つ聖ヨハネ。赤い衣の方が使途ヨハネ、紫っぽいマントに、ちょっと足が見えている方の方が洗礼者ヨハネ。前者のヨハネは有名な黙示録の筆者の方のヨハネ、後者のヨハネはサロメに首を斬られる方のヨハネです。両者ともこの施療院の守護聖人です。
聖カタリナは恐らく実在の人物ではないと思われますが、キリスト教の多くの宗派において広く崇敬を受けられた方だそうです。

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向かって右側のパネル。使途ヨハネが流刑地のパトモス島でキリストの啓示を受けて幻視した天の国と、終末における地上の恐ろしい様子とが描かれています。
使途ヨハネは忘我した様子で幻視の世界に見入っていて、何だか惹き付けられる表情です。

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何か面白い造形の怪物がいた。と思ってアップを撮りました。中央の首だけの黒い魔物は、馬に乗って逃げる人を食べようとしているのかと思いきや、ガイドブックによればそうでなくて、この黒い魔物の口から馬に乗った「死」が地上に飛び出してくるところだそうです。

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向かって左側のパネル。こちらは洗礼者ヨハネのエピソードを描いています。言わずと知れた、洗礼者ヨハネの死の場面ですね。
お盆に載せられた彼の首、そのお盆を捧げ持つ緑色のドレスの美女サロメ。美女サロメはよく見ると二重顎です。それもこの絵が描かれた時代の美の基準の一つでしょうか。
地面に倒れ伏したヨハネの体の首の切断面がなかなかグロく、生々しく、エグい。

と、かなり私好みの祭壇画でした。
特に使途ヨハネのパネルは、ぷりちーな化け物たちがいっぱいでついつい着目してしまう。
しかし古い時代にあってはこうして描かれる地獄そのもののような終末の有様は、見る者にとても恐ろしい思いを抱かせるものだったのでしょう。ぷりちーとか言っている場合でない。


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posted by 綾瀬 at 08:01| Comment(0) | 16年12月ベルギー