…んんっ??
絵、下手かな?
と、まあ、このレベルの(失礼極まりない)絵もあったわけですが、人体の部位を解説する一枚のようなので、そこまで精密でなくても用をなすでしょう。なすでしょうが、何とも言えない表情に、何だか笑えてくる。でも、ここの修道士や修道女たちは実際にこうした絵を教科書として医術を学んでいったのでしょうから、笑ってはいけない気も…いや、でも、絵が下手にも程が・笑
修道女たちの集合写真。この聖ヨハネ施療院は、初期には修道士と修道女が両方在籍していたそうですが、ある時期修道士が別の施設に移り、以降は修道女のみが19世紀まで在籍していたとの由。
診療器具2連続。
何だかおどろおどろしく見えるけど、それは現代でもそーでしょう。
そしてその診療器具をどう使うかというと、こう。
こう。
……痛そう。ギャース。
またまた集合肖像画(ワリカン)。どう見ても修道士ではないので、医師たちでしょうか。
さてさて、特にルートなども考えず気ままに見学しているうちに、聖ヨハネ施療院一番の目玉(俗っぽ過ぎる表現で恐縮)である聖ウルスラの聖遺物箱のコーナーにやって参りました!
聖遺物箱とは、その名の通りキリスト教における聖遺物を納める箱で、聖遺物とはイエスやマリア、その他諸聖人の遺品や遺体などのこと。その昔、キリスト教の聖堂には必ず聖遺物が納められていなければならないというルールがあったとかで、中世の昔には教会間で聖遺物の奪い合い、盗み合いなんかよくあったそうです。せ、聖職者とは…。
この聖ヨハネ施療院に納められていた聖遺物は保存のために今では別の場所にあるようですが、聖ウルスラを始めとする聖人たちの聖遺物が、この聖遺物箱の中に入れられて信仰を集めていたようです。
で、この聖遺物箱の絵を手掛けたのがメムリンク! 勿論メムリンク一人で作り上げられる箱ではなく、この細やかな黄金の装飾を見ても分かる通り、彫金に関わる複数の職人たちの合作とも言えます。
さて、聖女ウルスラとは。
詳しくはWikiをご覧ください。
聖ウルスラ
簡単に説明すると、伝説上の4世紀末のブルターニュの王の娘(ブリトン人とも)で、熱心なキリスト教徒。嫁入りに当たっては一万一千人もの処女たちを同行させる。自分の婚約者にキリスト教の洗礼を受けさせ、ケルンを経てローマへ巡礼。その帰途、再びケルンへ到達したところでフン族の襲撃を受け、侵略者たちの首長から言い寄られるもののそれを拒絶したため矢で射られて殉教した。というような逸話を持つ聖女だそうです。
実在性は極めて乏しく、恐らく伝説上の存在でしょうが、中世においては多くの崇敬を受けていたようです。
さて、実はこちらは聖遺物箱の背面なのだそうですが、中央の眉の薄い方が聖ウルスラ。彼女のマントの元に庇護されているのが彼女の嫁入りに従った10人の聖処女たち。キリスト教の絵画の伝統にしたがい、重要人物ほど大きく、そうでない人はほどほどの大きさで描かれています。
この聖ウルスラ+10人の聖処女たち=11人に対して、ひとりにつき1000人の処女たちを従わせたため、1万1千人(以上)もの聖処女たちが聖ウルスラの結婚に伴い、ローマへの巡礼の道を辿ります。
これは聖遺物箱の側面で、華々しい巡礼のシーン。ストーリーは左側から始まって、一番左がケルンへの到着、真ん中がバーゼルという街に着いて船を降りて徒歩でローマへ向かうところ、一番右側が遂にローマへ到着し、婚約者や聖処女たちともども教皇から歓待を受けるシーン。
聖ウルスラは青い袖の中着に白い胴衣、やや紫味を帯びた青っぽいスカートという姿で描かれているので、小さい写真ですが何となく分かりやすいかな?
ここまでは、聖ウルスラの物語の中でも光の煌くような栄光の場面が続きます。
そしてこちらが反対側の側面。こちらもやはり左側からストーリーが進んで、一番左はローマを出発する場面。真ん中はケルンに到着し、フン族の襲撃を受けるシーン。この場面で聖ウルスラの婚約者はあえなく殺害されてしまっています。そして一番右は聖ウルスラがフン族に矢を射られ、殉教するシーンです。
フン族ということにはなっていますが、装束はアラブ風と西洋風のちゃんぽんで、まあ全然フン族には見えません。特に聖ウルスラに矢を向けている人物は西洋の甲冑のように見えてしまう。でも西洋人の目から見ればこんなの全然西洋風じゃない! ってなるかな?
フン族に殺害される聖ウルスラの婚約者。
今まさに矢を射られんとする聖ウルスラ。古代や中世のような色々ヒャッハーな時代であれば、いちいち女を口説くんじゃなくとりあえず問答無用で犯すんではなかろうかという気もしますが、そこは処女のまま殉教というのが重要なファクターでもあるかと。
照明が映り込んでしまってどうしても上手く撮れなかったのですが、こちら側が聖遺物箱の正面だそうです。聖母子と、左右に描かれているのは聖遺物箱制作の発注主と思われる2名の修道女。
絵の部分以外にも、聖堂そのものを模したような屋根や柱部分の緻密な彫刻が本当に見事です。鈍い金色の光輝は聖人の聖遺物を納めるのに実に相応しい輝きであるように思われます。
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